【西国三十三所巡り】 第二十一番札所 菩提山 穴太寺(Anaoji)、第二十二番札所 補陀洛山 総持寺(Sojiji) 参拝記

第二十一番札所 菩提山 穴太寺(Anaoji)

2016年7月12日の記事(改訂版)

7月11日
12と13日が雨の天気予報で、14日からバイトが始まるので、今しかないと思って行って参りました。
最高気温予測34度という事で、大変暑い一日で、ちょっと無理をしました・・・。
熱中症ぽい感じで、体が熱を持ってしまって今もしんどいのですが、早く直さなければ~!

往路

園田発8:11 → 十三着8:16 (阪急神戸本線・梅田行)
十三発8:24 → 高槻市着8:47 (阪急京都本線準急・河原町行)
高槻市発8:51 → 大宮着9:12 (阪急京都本線快速急行・河原町行)
大宮駅 → 四条大宮駅 (乗り換え至近)

乗っていた準急は高槻市で快速急行に抜かれるのですが、その快速急行が座れるほどに空いているのを見て乗り換えまして、予定より一本前の嵐電に乗って移動できてます。
ちなみに、嵐電嵯峨駅から嵯峨嵐山駅までの間にローソンがあり、十分買い物ができる時間があり、水分補給が必要な場合などには立ち寄りましょう。

嵐電 四条大宮駅
嵐電 四条大宮駅
嵐電 嵐山行き
嵐電 嵐山行き

四条大宮発9:20 → 嵐電嵯峨着9:43 (京福電気鉄道嵐山本線・嵐山行)
嵐電嵯峨駅 → 嵯峨嵐山駅 (徒歩5分)
嵯峨嵐山発9:54 → 亀岡着10:04 (JR嵯峨野線・園部行)

嵯峨嵐山駅
嵯峨嵐山駅
嵯峨嵐山駅
嵯峨嵐山駅
山陰本線 221系電車
山陰本線 221系電車
亀岡駅
亀岡駅

亀岡駅前/京阪京都交通 10:09 → 穴太口/京阪京都交通 10:17 (京阪京都交通・60号・京都学園大学京都亀岡キャンパス行)


 第二十一番札所 菩提山 穴太寺(Anaoji)

穴太口のバス停で降りたのは私一人だけ。
乗っていたのは、殆どが京都学園大学(と思われる)の学生さんでしたわ。

田園風景の中、車が一台通れるくらいの道を800mほど歩くと、山門(仁王門)が見えてきました。
17世紀中期頃の再建とのことです。

山門(仁王門)

穴太寺までの田園風景
穴太寺までの田園風景
山門
山門
仁王像
仁王像
仁王像
仁王像

山門(仁王門)を入ると、正面に本堂(観音堂)が見えます。
思っていたより、境内は狭いです。

本堂(観音堂)
本堂(観音堂)
本堂(観音堂)
本堂(観音堂)
西国二十一番 穴太寺
西国二十一番 穴太寺

西国二十一番 穴太寺

宗派 天台宗
本尊 聖観音菩薩

穴太寺は菩提山と号し西国三十三所観音霊場の二十一番札所として広く知られています。古くは「穴穂寺」「穴生寺」「菩提寺」などと呼ばれていました。
宝徳二年(1450)にかかれた「穴太寺観音縁起」によると、文武天皇(もんむてんのう)の慶雲年中(704~708)大伴古麻呂(おおとものこまろ)大臣が薬師如来を本尊として開創したと伝えています。当時早くから世に知られるようになったのは、聖観音像にまつわる「身代わり観音」の霊験譚によります。
「本朝法華験記(1040~1044)「扶桑略記(平安時代後期)「今昔物語」(平安時代後期)」などによれば応和二年(961)丹波桑田郡の宇治宮成が京都から仏師感世(かんせい)を招き金色の観音像を造立したと伝えます。また「穴太寺観音縁起」は観音像の造立を寛弘七年(1010)のことと伝えています。
鎌倉時代後期には三十三所観音霊場の一つとして上げられ(公衡公記)一遍上人(いっぺんしょうにん)も当寺に参詣して逗留しました。(一遍上人絵伝)また室町時代には山門西塔院の末寺になり室町将軍家足利氏の庇護を受けました。天正年間(1573~1592)に兵火にかかり伽藍は荒廃しました。その後の再興は十七世紀中期中興初代行廣が住職に就いてからです。「寺社御改書上帳」享保十三年(1728)本堂(観音堂)を焼失しましたが、「穴太寺拝領行運記」享保十六年(1731)には本堂の再建が始まり同二十年(1735)に棟上げが行われ、元文二年(1737)全てが完成しました。
当時の涅槃像は全国にも六例しかない貴重な仏像で、市の文化財に指定されています。檜材を用いた寄木造りで鎌倉時代の作です。この像は撫で仏として自分の体の悪いところと同じ場所を撫でてお願いすると、霊験があるといわれています。
当時の庭園は京都府の名勝指定を受け、本堂・多宝塔は京都府の文化財の指定を受けています。鎮守堂・仁王門・鐘楼・念仏堂・方丈及び庫裡・方丈表門は京都府の登録文化財として、また亀岡市の指定を受けています。

御詠歌
かかる世に 生まれあふ身のあな憂(う)やと 思わでたのめ十声一声(とこえひとこえ)

拝観 内陣参拝 冥加料
庭園拝観 有料

京都府指定文化財
穴太寺 本堂・多宝塔(江戸時代)

京都府登録文化財
穴太寺 念仏堂・方丈及び庫裡・方丈表門・鎮守堂・鐘楼・仁王門(江戸時代)


鐘楼

鐘楼
鐘楼
鐘楼
鐘楼

手水舎

手水舎
手水舎
手水舎
手水舎

多宝塔

多宝塔
多宝塔
多宝塔
多宝塔
多宝塔
多宝塔

本堂(観音堂)

本堂(観音堂)
本堂(観音堂)

本堂の右に念仏堂があり、納経所になっています。
こちらでご朱印を頂けます。


ご朱印

穴太寺 ご朱印
穴太寺 ご朱印
穴太寺 ご朱印
穴太寺 ご朱印

西國第二十一番
丹波國 穴太寺
御本尊聖観世音菩薩

かかるよに うまれあうみの あなうやと おもわでたのめ とこえひとこえ

開基 大伴古麿朝臣
建立 慶雲二年

京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻
天台宗 菩提山 穴太寺


円応院から本堂内へ

境内の拝観は無料で、ご朱印を頂くだけならこれで帰ってもよいと思われますが、せっかくここまで来たのですから本堂の中と円応院の庭園は観ていった方が良いと思います(合わせて500円)。

本堂の左にある拝観受付とある門をくぐると円応院があり、こちらで拝観料をお納めし、本堂への回廊を渡って本堂の中に参ることができます。(本堂内は撮影禁止)

本尊の聖観音菩薩は昭和四十三年(1968)11月に盗難に遭い、未発見との事。
撫で仏の釈迦涅槃像があり、あちこちを撫でまわさせて頂きました。
足、腰や肩だけに留まらず、悪い頭も治るよう丹念に(笑)


円応院の庭園(京都府指定文化財名勝)

円応院の庭園
円応院の庭園
円応院の庭園
円応院の庭園
円応院の庭園
円応院の庭園
円応院の庭園
円応院の庭園
円応院の庭園
円応院の庭園

 

京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46

昼食

穴太寺を出て、再び穴太口のバス停に向かいます。
亀岡駅前行のバスは20分に一本あるんですが、11:14発のバスが出たばかりで、次の34分発まで、炎天下15分ほど待つ羽目に・・・。
昼食にと考えていた、和食の「お料理 池佳(いけよし)」を目指そうと、バスを亀岡市役所前で降りたんですが、暑さに負けて、近くにある回転寿司の「くら寿司」に入ってしまいました。
入ったら冷房が効いてて涼しく、ビールも美味しいし、一皿全部が100円で安いので、10皿も食べてしまいました(笑)


トロッコ亀岡駅へ

ここで大きくしくじりました。
くら寿司に入る前から、既に頭がボーっとしていたようです。
国道9号線(山陰道)を東に向かい、トロッコ亀岡駅の方へ徒歩で向かってしまったのです。
地図では近いように見えたのですが、帰ってから歩いたルートを調べると4.2kmの距離がありました。
これが熱中症になった要因です。
我ながらアホですよねぇ・・・。

JR馬堀駅が見えた時はほっとしましたよ。

馬堀駅
馬堀駅
「唐櫃越」本能寺への道
「唐櫃越」本能寺への道
トロッコ亀岡駅
トロッコ亀岡駅

街中を歩いていた筈なのに、急に田園風景に変わって、びっくりしました。

トロッコ亀岡駅の周辺は田園
トロッコ亀岡駅の周辺は田園

トロッコ嵯峨野

炎天下を汗だくになって、ヒイヒイ言って辿り着いたのは良いものの、メッチャ引きました。
この駅、外国人観光客だらけなんです(笑)
日本語を話す人を見かけなかったので、ほぼ100%近く外国人です。
わしはどこへ来たんかと、目を疑ったほどです。

あとで友人から教えてもらったのですが、台湾からの観光客が多いそうです。
大陸の方と違ってマナーが良かったので、非常に納得しました。

白人の欧米人も結構居まして、英国人っぽい親子連れの子供がトロッコ電車に興奮している方が微笑ましく、ほのぼのしました。

トロッコ亀岡駅
トロッコ亀岡駅
トロッコ亀岡駅の中のたぬき
トロッコ亀岡駅の中のたぬき
「たぬき」は古来より「他を抜く」
「たぬき」は古来より「他を抜く」

私はトロッコ嵯峨野に初めて乗りました!(ちょっと興奮気味(笑))
席に着いてわかりましたが、トラブル防止なのか、団体ツアー客と個人客は席を離すみたいですね。
割と混んでいたと思うのですが、私にとってはありがたかったです。
座席は二人掛けの向かい合わせの席になっています。
最初指定席が3号車の1-Dの席になり、向かいのA、B席には恐らく台湾人のカップルさん。Cは空いています。
隣の2-A~D席は空いていて、車掌さんの方から隣が空いているから移動するよう勧められ、メッチャ快適空間を確保できたんですよ。
2の席は進行方向の左側にあり、ずっと保津川の渓流を見られたので、非常にラッキーでした!

車窓が少しでも楽しめるかしら?

トロッコ嵯峨野
トロッコ嵯峨野
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流下りの船
保津川渓流下りの船
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
トロッコ保津峡駅
トロッコ保津峡駅
トロッコ保津峡駅
トロッコ保津峡駅
トロッコ保津峡駅
トロッコ保津峡駅
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流
保津川渓流

トロッコ嵯峨駅

私は終点のトロッコ嵯峨駅まで乗ったんですが、ほとんどの方は一つ前のトロッコ嵐山で降りて行かれました。
ツアー客のようですので、次には天龍寺や竹林の小径に向かわれるんだと思いますが、トロッコ嵯峨駅まで来て正解でした。
色んな設備が整っていて非常に便利だと思います。
お腹の具合で、駅の公衆トイレに行ったのですが、綺麗なトイレで良かったです!

鉄道むすめ「嵯峨ほづき」
鉄道むすめ「嵯峨ほづき」

 

トロッコ嵯峨駅
トロッコ嵯峨駅

D51の51号機関車が居ました!!

D51の51号機関車
D51の51号機関車
D51の51号機関車
D51の51号機関車

阪急嵐山駅経由、総持寺へ

真っ直ぐ南へ桂川まで下り、突き当りを右へ曲がって渡月橋を渡り、中の島を通って阪急嵐山の駅まで徒歩20分。
またも汗びっしょりです・・・。

桂川
桂川
渡月橋を望む
渡月橋を望む
渡月橋を望む
渡月橋を望む
渡月橋を望む
渡月橋を望む

 

渡月橋
渡月橋
渡月橋
渡月橋
桂川
桂川

 

阪急嵐山駅
阪急嵐山駅

第二十二番札所 補陀洛山 総持寺(Sojiji)

総持寺駅から、総持寺までは徒歩約5分。
なだらかな坂道を昇り降りする必要がありました。

西国二十二番総持寺
西国二十二番総持寺
補陀洛山 総持寺
補陀洛山 総持寺
補陀洛山 総持寺
補陀洛山 総持寺

総持寺の千手観音様は、亀に乗っていることで有名なのだとか。

手水舎
手水舎
手水舎
手水舎

手水の水が自動で出ます。


山門

山門
山門
山門
山門
金剛力士像
金剛力士像
金剛力士像
金剛力士像

総持寺境内

山門をくぐると本堂が見えます。
穴太寺と違い、境内が思ったより広かったです。

本堂
本堂

開山堂

開基の藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が祀られています。

開山堂
開山堂
開山堂
開山堂
山蔭流包丁式
山蔭流包丁式
山蔭流包丁式
山蔭流包丁式

総持寺の開山は従三位中納言・藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)卿である。山蔭卿は総持寺本尊造立の時、仏師に千日の間毎日違う料理を饗し、「中納言の千日料理」として知られる。また光孝天皇(こうこうてんのう)の命により、宮中料理の諸作法を整えたことから山蔭卿は我が国包丁道の創始者とされ、包丁の神、料理・飲食の神として全国の調理師から信仰を集めている。
藤原山蔭卿が我が国包丁道の祖であることから、総持寺では毎年四月十八日に、古式に則り「山蔭流包丁式」が執り行われる。包丁式は古来宴席において、投手が賓客を前にして座敷に俎板を設え、料理して見せたことに由来する。現在「包丁道山蔭流」を継承する全国の調理師により、山蔭流の菩提所である総持寺において、包丁式が奉納されている。包丁式には厳しい修業を重ねた全国の調理師が挑み山蔭流免許の許し状が総持寺より授与されている。


稲荷社

稲荷社
稲荷社
稲荷社
稲荷社

地蔵尊

地蔵尊
地蔵尊

鐘楼

鐘楼
鐘楼
鐘楼について
鐘楼について

鐘楼について

この鐘は高野山開創千二百年を記念し、観音様、お大師様とご縁を結ばれた有縁の皆様のご寄進により造られた鐘です。鐘銘は当山開基藤原山蔭卿二男公利が、延喜十二年(912)に鐘楼に納めた梵鐘に刻まれていた銘文を復刻しました。
平成二十六年秋まで鐘楼に納められていた梵鐘(永享六年(1434)作)は文化財保護のため、納経所内に移設保存されています。

優しく撞いて下さい

撞き方

一 合掌一礼
一 一撞
一 合掌一礼


閻魔堂

閻魔堂
閻魔堂
閻魔堂
閻魔堂

本堂

本堂
本堂
本堂
本堂

大師堂

大師堂
大師堂

薬師堂

薬師堂
薬師堂
総持寺金堂
総持寺金堂
奉尊薬師如来
奉尊薬師如来
薬師堂
薬師堂

不動堂

不動堂
不動堂
不動堂
不動堂

荒神社

荒神社
荒神社
荒神社
荒神社

ペット納骨供養塚

ペット納骨供養塚
ペット納骨供養塚

鎮守社

鎮守社
鎮守社
鎮守社
鎮守社

包丁塚

包丁塚
包丁塚

普悲観音堂

普悲観音堂
普悲観音堂
普悲観音堂
普悲観音堂

宝篋印塔

宝篋印塔
宝篋印塔

総持寺瓦窯跡

納経所の前にあります。

総持寺瓦窯跡
総持寺瓦窯跡

総持寺瓦窯跡(そうじじがようあと)
1号窯と2号窯はほぼ同じ構造で、有牀(ゆうしょう)(畦)式平窯(ひらかま)である。手前の焚口(たきぐち)に続いて燃焼室(ねんしょうしつ)があり、そこで生じた焔(ほのお)は奥側の3つの分焔孔を介して長方形箱型の焼成室(しょうせいしつ)に導かれる。焼成室は燃焼室よりも一段高くなっており、床面には2条の畦(あぜ)(桟道(さんどう))を設ける。畦と畦、側壁と畦の間に分焔孔(ぶんきゅうこうではなく、ぶんえんこうと読むと思われる)が対応しており、熱を導く役割を持つ。この畦の上面に高さに合わせて、両側の側壁に段が作り出しており、畦や段の上に瓦を並べて用いられた。有牀式平釜は奈良時代に登場するが、平安時代以降に次第に小型化することが知られている。本例は、小型化が進み、畦が2条にまで減少しており、これらの点から室町時代を中心とする時期に位置付けることができる。
平成五~六年にかけて総持寺の納径(経の誤りであろう)所建築に伴う事前調査において、室町時代の鋳造遺構などと共にこの瓦窯が発見された。調査後、保存を図る為、発見された場所から約15m西北西に移して展示している。

総持寺瓦窯跡
総持寺瓦窯跡

納経所

エアコンが効いた近代的な建物です。
こちらでご朱印が頂けます。

納経所
納経所

ご朱印

総持寺 ご朱印
総持寺 ご朱印
総持寺 ご朱印
総持寺 ご朱印

西國第二十二番
摂津國 總持寺
御本尊千手十一面観世音菩薩

おしなべて おいもわかきも そうじじの ほとけのちかい たのまぬはなし

開基 中納言山蔭卿
建立 仁和二年

大阪府茨木市総持寺町
真言宗 補陀洛山 総持寺

総持寺は拝観料が無料です。
老朽化した本堂の修復工事をされるという事で、寄進を募る張り紙があちこちにありました。
無料なので分かりますが、境内を案内するパンフレットが無くて、何があるのかあんまりよくわかりませんでした。
建物の前に立札くらいはあって良かろうと思うのですが・・・。
その影響からか、ウィキペディアの内容も薄いですね。
外は暑いのでエアコンが良く効いたところで作業をされていて快適そうに見えましたが、ご朱印がやや雑な感じがしました。

大阪府茨木市総持寺1丁目6−1

ここまでお読み頂きまして、ありがとうございます。
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