第九番札所 興福寺 南円堂
2016年5月6日の記事(改訂版)
ゴールデンウィークも後半になりましたね。
その前半、奥様の実家に行った際に義父の十三回忌法要がありました。
西国三十三所巡りにも絡む真言宗での法要ということもあり、ここしばらく仏教についての勉強をし始めているので、興味を持って見られました。
そのお寺さんとお斎の席で同席になり、お酒も入って色んなお話を聞かせて頂き、大変勉強になりました。
5月4日
帰宅後、腰の具合を調整し、天気が良くなるのを待ち、満を持して、私が幼少から高校生まで育った場所になります、奈良へ行ってきました。
目的地はもちろん第九番札所 興福寺 南円堂(Kofukuji-Nanendo)です。
ここだけでは時間が余ってしまいます。
このブログを始める前の年の10月に、奈良の世界遺産を歩いて巡るツアー(元興寺 → 興福寺 → 春日大社 → 若草山登山 → 東大寺)に行った際、時間切れで回りきれずにご朱印を頂けなかった東大寺の大仏殿へ行くのを次の目的とし、5月初旬までが見頃になる春日大社の枝垂れ藤を観ることとしました。
往路
大阪から奈良へ公共交通機関を使って行くにはいくつかルートがありますが、興福寺は近鉄の奈良駅から行くのが近いですので、近鉄で向かいます。
JRの奈良駅からですと、三条通りを20分ほど歩く必要があります。
園田発8:16 → 梅田(阪急線)着8:26 (阪急神戸本線・梅田行)
梅田(大阪市営)発8:34 → なんば着8:42 (大阪市営御堂筋線・天王寺行)
大阪難波発8:51 → 近鉄奈良着9:28 (近鉄奈良線快速急行・近鉄奈良行)
猿沢の池
近鉄奈良駅前には行基像のある噴水があり、ここは待ち合わせ場所として有名です。
私も子供のころにはよく友人との待ち合わせ場所にしたものです。
東向商店街を抜けて、三条通りを左に折れてしばらく行くと、南都八景に数えられる猿沢の池が見えてきます。
左には興福寺南円堂の方へ直接向かう石段がありますが、今回は猿沢の池の南をぐるっと回って、五十二段の石段を登ってから、興福寺に入る王道を進みます。
興福寺 (Kofukuji)
五十二段の石段を登り、境内に入ってすぐに五重塔があります。
小学生の5、6年の頃、夏休みの宿題として出されていた美術の宿題の題材としてこの前で写生をしたことを思い出しました。
日本史が好きで、ずっと社会科全般の点数が良かったのは、奈良で育ったことが大いに起因していると思います。
五重塔(国宝)
国宝 興福寺五重塔
室町時代 高さ五〇.一m
天平二年(730)に光明皇后(こうみょうこうごう)が創建。現在の塔は応永三十三年(1426)に再建。
初層の須弥壇に薬師三尊像(東)、釈迦三尊像(南)、阿弥陀三尊像(西)、弥勒菩薩像(北)を安置(いずれも室町時代作)。
五重塔の前で、4月23日から5月8日まで、「国宝 北円堂特別開扉」の看板を発見。
良いタイミングに来ました!
興福寺南円堂(重要文化財)
南円堂へ向かい、早速ながらご朱印を頂きます。
西国三十三所第九番札所
興福寺南円堂 (重要文化財)
弘仁四年(813)に藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が父内麻呂(うちまろ)の冥福を願って創建。
現在の建物は寛保元年(1741)に立柱。
本尊は不空羂索観音菩薩像(鎌倉時代・国宝)
興福寺南円堂 ご朱印
西國第九番
大和國奈良 南圓堂
御本尊不空羂索観世音菩薩
はるのひは なんえんどうに かがやきて みかさのやまに はるるうすぐも
開基 藤原冬嗣公
建立 弘仁四年
奈良市登大路町
法相宗 興福寺 南円堂
三重塔(国宝)
早々にご朱印を頂いてしまってほっとしたのか、この日は天気が良くて気温が上がったのと、観光客が多過ぎて、ちょっと気分が悪くなってしまい、三重塔の方へ行ってしばらく休憩。
ここは若干隠れたところにある為か、昔からあまり人が居ませんね。
康治二年(1143)崇徳天皇の中宮皇嘉門院(こうかもんいん)の願建。
北円堂(国宝)
日陰で座っていたら楽になったので、参拝を続けます。
次は先の看板にもあった国宝の北円堂です。
拝観料をお支払いして、国宝の弥勒如来坐像、無著(むちゃく)・世親(せしん)菩薩立像、
四天王像(中は撮影禁止!)を拝しました。
東金堂(国宝)
次は東金堂と国宝館の共通拝観券を購入し、先ずは国宝の東金堂へ。
こちらも中は撮影禁止。
国宝、重要文化財の像が多数並んで居られます。
国宝 東金堂
聖武天皇神亀三年(726)創建
応永二十二年(1415)再建
重要文化財 薬師如来像(本尊) 室町時代
重要文化財 日光菩薩像 白鳳時代
重要文化財 月光菩薩像 白鳳時代
国宝 文殊菩薩像 鎌倉時代
国宝 維摩居士像 鎌倉時代
国宝 四天王像 平安時代
国宝 十二神将像 鎌倉時代
国宝館
次いで国宝館へ向かいます。
こちらも当然館内は撮影禁止!
有名な千手観音菩薩立像とか阿修羅像はこちらにあり、修学旅行で訪れた方もたくさん居られると思います。
来年2017年1月1日~12月31日まで、耐震補強工事で1年間休館するという事なので、行くなら今の内が良いですね。(当時)
世界遺産石碑 「古都奈良の文化財」 興福寺
県庁前の方に出て、東大寺へ向かいます。
屋台がたくさん出ていたので、水分補給にビールを頂きました。
東大寺 (Todaiji)
ある程度予測はしていましたが、東大寺に入る交差点から南大門へ向かう先は人だらけですわ(笑)
その先、大仏殿に入ったらもうたまりません。
引き篭もりには、非常にキツイ場所でした・・・。
東大寺南大門(国宝)
東大寺南大門(国宝)
五間三戸二重門入母屋造、木造、木瓦葺、鎌倉時代
東大寺の正門で、東大寺伽藍の大半が治承四年(1180)の平重衡(たいらのしげひら)の兵火に罹って、焼失した後に行なわれた復興造営の一つとして建てられた。
大勧請の職に就いて復興造営の総指揮を執った俊乗坊重源上人(ちょうげんしょうにん)が、宋朝建築の特色を採り入れて編み出した、大仏様の建物で正治元年(1199)六月に上棟されており、その後数年を経ずして落成したと考えられる。
門内に安置されている木像金剛力士(仁王)像は運慶(うんけい)、快慶(かいけい)、定覚(じょうかく)、湛慶(たんけい)等二十名の慶派の仏師たちが、建仁三年(1203)に僅か、六十九日間で造り上げたものである。北向に安置されている一対の石造獅子像は、鎌倉復興造営に参画した宋人の石工たちが建久七年(1196)に造ったものである。
東大寺中門
中門に突き当たって左に行くと、回廊の中に大仏殿への受付があります。
こちらで大仏殿と東大寺ミュージアムの共通券を購入します。
東大寺大仏殿(国宝)
大仏殿まで来たのは久々で、前はいつだったか覚えていません。
廻廊内や大仏殿内での撮影は自由に行なえますが、三脚の使用は禁止です。
危険な自撮り棒も禁止でお願いします。
大仏殿の中でご朱印を頂くのに15分以上は並んだと思います。
確か四か所ご朱印の窓口があったのですが、それぞれ違うご朱印が頂けるようです。
私が並んだのは右端で「華厳」、おとなりは「盧舎那仏」でしたね。
全部に並ぶ気力はありませんでした。
すっかり疲れてしまったと思うのですが、南大門を出たら左の空いている方へ進んでしまい、折角共通券を買ったのに、東大寺ミュージアムへ行かなかったことにも、後で気が付きました・・・。
手向山八幡宮 (Temukeyama-Hachimangu-Shrine)
祭神:応神天皇、姫大神、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇
南大門を出て左にまっすぐ進むと、手向山八幡宮があります。
春日大社の方から二月堂や三月堂の方へ向かうと、必ずこの前を通る筈ですが、立ち寄られる人は少ないようですね。ベンチに座って休めたのでほっとしました。
この宮は手向山八幡宮です。
奈良時代の天平勝宝元年(749)に、豊前國(大分県)の宇佐神宮より八幡大神をお迎えし、東大寺守護の神としてお祀りされました。
宇佐神宮の御分霊第一の八幡古社であります。
古くより紅葉の名所で、昔は千本の紅葉があり
このたびは 幣(ぬさ)もとりあえず 手向山 紅葉の錦 かみのまにまに
という菅原朝臣道真(すがわらのあそんみちざね)公の詠まれた和歌が、百人一首に遺されております。
手向山八幡宮 宝庫は、奈良時代の建造物で、国の重要文化財に指定されております。
造りは正倉院で有名な校倉造り(あぜくらづくり)で、元は東大寺の油倉の一つで江戸時代に当社の祭礼「転害会(てがいえ)」所要の神宝を納める為に移築したものです。
手向山八幡宮
この手向山八幡宮は、奈良時代聖武天皇(しょうむてんのう)が大仏の造営をされたとき、これに協力のため天平感宝元年(749)に宇佐から八幡宮を迎え大仏殿の近く鏡池(八幡池)の東側に鎮座したのに始まる。そして以降東大寺を鎮守したのである。
鎌倉時代の建長二年(1250)に北条時頼(ほうじょうときより)によって現在地に遷座した。
祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、姫大神(ひめおおかみ)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、仁徳天皇(にんとくてんのう)
祭礼は、転害会(てんがいえ)と呼ばれ十月五日に行なわれる。これは宇佐から遷宮の時、東大寺転害門から入られたことに起因すると伝えられ、転害門をお旅所として神輿が出る。
この外お田植祭りがある。節分の日に行なわれるが古い能楽の形式を残しているといわれる。
手向山八幡宮には(県指定文化財 江戸時代)境内社、住吉社本殿(重要文化財 鎌倉時代)、宝庫(重要文化財 奈良時代)、唐鞍(国宝、鎌倉時代)、狛犬(市指定文化財 鎌倉時代)など十八件の国・県・市の指定文化財がある。
昼食
手向山八幡宮から春日大社に向かい南へ向かうと、若草山の麓に旅館や土産物屋が並んでいます。
お昼を過ぎていたので、こちらで昼の大休止を取ります。
定番の親子丼とビールです(笑)
春日大社 (Kasuga-Taisha-Shrine)
今年は一週間ほど開花が早かったそうで、境内の枝垂れ藤はほぼ終わっていました・・・。
この時点では未だ13:30くらいだったのですが、ぎっくり腰後にまともに歩くのが初めてだったのと、すっかり人混みで疲れ果ててしまい、とりあえず帰ることにしました。
遣唐留学生阿部仲麻呂公 喜びもやがて悲しき望郷の歌
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 御蓋の山に いでし月かも
(古今和歌集 巻第九)
阿倍仲麻呂公 望郷の思い
遣唐留学生に選ばれた阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)(数え年十七歳)公と吉備真備(きびのまきび)(二十歳 晩年右大臣)公たちは、ここ春日の神地でで壮行神事を受けて出発、過程履修後は仲麻呂公のみ乞われて唐朝廷に入り、要職を歴任したのでした。
三十三歳の帰国願いは玄宗皇帝に許されず、五十三歳の時ようやく一時帰国を認められ、蘇州出航前夜停泊中の船内で詠んだのがこの歌です。喜びに満ちあふれております。
ところが乗船は難破して安南(ベトナム)に漂着、辛うじて唐首都長安(西安)に戻ったものの、遂に帰国の夢空しく七十歳で亡くなりました。この歌は、故国日本を偲び続けた悲しみの歌になってしまいました。
後に仲麻呂公には祖国貢献の功労に報い、右大臣相応の正二位が追贈されております。
復路
春日大社の参道を西に向かっていくと、猿沢池のあった三条通りに出ます。
写真を撮り忘れていた興福寺南円堂への石段です。
近鉄奈良駅に着いたら丁度良い感じで難波行の特急があったので、一杯飲みながら帰ることにしました。
近鉄奈良発14:20 → 大阪難波着14:56 (近鉄奈良線特急・大阪難波行)
なんば発15:03 → 梅田(大阪市営)着15:11 (大阪市営御堂筋線・新大阪行)
梅田(阪急線)発15:21 → 園田着15:30 (阪急神戸本線・神戸三宮行)