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京阪電車×響け!ユーフォニアム2
2017年3月5日
ここしばらく忙しい毎日を過ごしていました。
また別途書きますが、この4月から日本の歴史や文化遺産を改めて学ぶ為に、大学に通う事にしました。
大学に行く決断をするまでの葛藤や準備があって、卒業証明書をもらう為に奈良の母校に30年ぶりに行ってきたり、保険の見直しで諸々の手続きを完了させたり、確定申告絡みで超短期のバイトに行ってみたり、期間を詰めて歯を治療したり、キャラクトロジー®心理学のSAS交流会に参加したり等々。
なんやかんやと忙しかったのに、やっと何も予定の無い一日ができたんですね。
ちなみに奥様は、日帰りで実家に帰っていて不在。
「よっしゃ! 宇治へ行ってこよう!!」
ふと思い立って、ざっと計画を立てて、デジタルスタンプラリーの第2弾に行ってきました。
往路
園田発10:56 → 梅田(阪急線)着11:05 (阪急神戸本線・梅田行)
梅田(大阪市営)発11:18 → 淀屋橋着11:21 (大阪市営御堂筋線・天王寺行)
京阪淀屋橋駅の駅長室で、宇治・伏見1dayチケットとクリアファイルの引換券をゲット。
淀屋橋発11:30 → 中書島着12:08 (京阪本線特急・出町柳行)
中書島駅のインフォメーションカウンターで、クリアファイルをゲット!
第2弾は、川島緑輝神のクリアファイルです。
地下連絡通路で1年生カルテットの等身大パネルを撮って、予定通りにこのまま宇治まで移動します。
本当にたまたまでしたが、ヘッドマークが付いてる編成に当たりました!
宇治駅では久美子神と麗奈神がお出迎え。
宇治駅周辺のチェックポイントを巡る
日曜日ということもあって、宇治橋には割と観光客がいっぱい居たので、仕方ないわなと思いつつ、さっさと目的地を目指します。
橋姫神社
最初のチェックポイントの「縣神社」に向かう参道には、今までなぜかスルーしていた「橋姫神社」があるので、少し立ち寄りました。
小さいお社があるだけですが、ここは『源氏物語 宇治十帖』の第一帖「橋姫」所縁の史跡になります。
橋姫神社
古代より、水辺、特に橋は神霊が宿るところとされており、橋姫はその守り神です。
瀬織津比咩(せおりつひめ)を祭神とする橋姫神社は、明治三年の洪水で流出するまでは宇治橋の西詰にありました。境内には橋詰神社と並んで住吉神社が祀られています。
交通の要衝として発展してきた宇治にとって、宇治橋はとりわけ大きな意味を持っており、橋姫神社を巡って数々の伝承を生み出しています。また、宇治が主要な舞台となっている、源氏物語宇治十帖の第一帖は、「橋姫」と名付けられており、橋姫神社はその古跡となっています。
源氏物語 宇治十帖(一)
橋姫
「その頃、世に数まへられ給はぬふる宮おはしけり。」と「宇治十帖」は書き始められる。
光源氏の異母弟の八宮(はちのみや)は、北方(きたのかた)亡き後、宇治の地で、失意と不遇の中に、二人の姫君を大切に育てながら、俗聖(ぞくひじり)として過ごしておられた。世の無常を感じていた薫君(かおるのきみ)は、宮を慕って、仏道修行に通い、三年の月日が流れた。
晩秋の月の夜、薫君は琵琶と琴を弾かれる姫君たちの美しい姿を垣間見て、
「あはれになつかしう」思い、
橋姫の心をくみて高瀬さす 棹のしづくに袖ぞぬれふる
と詠んで大君(おおいきみ)に贈った。
出家を望まれる八宮は、薫君を信じ、姫君たちの将来を頼まれる。その後、薫君は、自分が源氏の実子でないという出生の秘密を知ることになる。
縣神社
縣神社付近には、前回にも撮りましたがチェックポイントが一カ所あります。
確認したんですが、やはり花屋さんは見当たりません・・・。
最初のチェックポイント「縣神社」です。
今回の麗奈神の方がうまく乗っかっていると思います!
縣神社
当社は、天孫天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)の妃、木花開耶姫(このはなさくやひめのみこと)を奉祀する。「あがた」の名は、上古の「県」の守護神であったことを示し、神代以来当地の地主神であった。後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)永承七年(1052)時の関白藤原頼通(ふじわらのよりみち)の平等院建立に当たり、同院総鎮守となり、藤原氏の繁栄も祈請したのである。
明治維新までは三井寺円満院(大津市)の管理下にあったが、これは平等院は三井門主の開眼にかかり天台宗に属していたためである。維新後は神仏分離令によってその管理から離れた。当社の大祭、六月五日から六日未明にかけて行われる暗夜の「奇祭あがた祭」は近府県はもとより広く全国から参拝者が集まり大層賑わう。
井川用水機場前 (通称、久美子ベンチ)
次のチェックポイント、井川用水機場前(通称、久美子ベンチ)です。
いつもなら同好の士が沢山居る場所なのですが、誰も見かけませんでした・・・。
さわらびの道
最後のチェックポイント「さわらびの道」へは、近くの橘橋を渡って橘島に渡り、朝潮橋を渡って対岸へ渡り、宇治神社境内を抜けていくのが早いです。
アプリ「舞台めぐり」のバグか?
ここで気が付いたのですが、縣神社だけがチェックインされていて、井川用水機場前とさわらびの道にチェックインしたにもかかわらず、アプリ上ではチェックされていないことがわかりました。
(チェックインしていたら、緑の枠で囲まれます)
何とかイベントのチェックインをさせようとして、近くをうろうろしたんですが、全く反応しません。
おかしい動きだとは思っていたんですが、最初の縣神社にチェックインしたら、マイARの加藤葉月神がゲットできていたんですね。
恐らく、前回のデジタルスタンプラリーの際にチェックインが完了していた為、その履歴からマイARが発行されたんでしょうが、本来のイベントのチェックインと連動しなかったのは、やはりバグなんだと思います。
これは私だけに起きた現象ではないと思うのですが、他の方はどうなんでしょうねぇ?
宇治川河川敷(水菅橋)
前回の未踏破ポイントとして残っていた、宇治川河川敷(水菅橋)を目指します。
京阪宇治駅の脇から入って宇治川の河川敷を歩いたんですが、午後からは曇って日差しが無くなったので、気温が下がってきていたと思います。
河川敷特有のやや強い風が吹いていて、ウォーキングで汗をかいていたので、とても寒く感じられました。
黄檗山萬福寺(Obakusan Manpuku-Ji)
ついでながら、萬福寺まで徒歩で向かいました。
GoogleMAPだと、水菅橋から萬福寺までは2.1km、27分と出てきます。この日、トータルでは16000歩近く歩いたので、良い運動になりました。
総門(重要文化財)
日本の仏教は13宗56派になるといわれます。
単立の寺院や教会を含めると凄い数になってしまうので、その13宗を挙げますと、
奈良時代に興った、学問仏教の法相宗、華厳宗、律宗。
平安時代に唐からもたらされた、密教である天台宗、真言宗。
鎌倉時代に民衆の救済を目指すなど、日本独特の進化を遂げた、融通念仏宗、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、時宗。
最後に江戸時代になって、明から臨済宗を起源とする中国様式の禅宗がもたらされたのが黄檗宗になります。
二人が萬福寺から出てきたところをイメージしています。
由緒
中國福建省福州府の黄檗山萬福寺の住持であった隠元禅師(いんげんぜんし)が我が国に渡来したのは承応三年(1654)である。
万治二年(1659)四代将軍家綱(いえつな)公よりこの地を賜り、寛文元年(1661)新しい寺の建立を始め、元を忘れないため黄檗山萬福寺と命名した。尓來(じらい)黄檗宗の本山として黄檗禅挙楊の源となっている。歴代住持の内十六人が中國僧であるのみならず山内到る處中国色濃厚な事を特色としている。
黄檗宗大本山萬福寺
寛文元年(1661)中国僧隠元劉琦禅師開創、境内四万一千余坪の禅宗大寺院。国内でも数少ない七堂伽藍が左右対称に居並び、老松と共に、中国情緒を醸し出す。
七堂伽藍二十三棟の堂宇は明朝建築様式を誇り、その回廊に至る迄、国の指定する重要文化財である。また、総門の扁額第五代高泉書の「第一義」は禅の本髄を如実に顕し、正当な法脈を受け継がれていることを証しており、扁額四十面聯額四十四対と共に重要文化財である。
境内全域は寺院の守護神「龍」を表し、総門の左右には「龍目井」を配している。
三門(重要文化財)
総門をくぐると、右に放生池があり、右斜め前に壮大な三門が見えます。
マスコットキャラなんかしら・・・。
天王殿(重要文化財)
布袋様に身内の者の病気平癒を祈願しました。
合わせて小さい布袋様が居られましたので、恐らく触ってもよいものと思い、立派に育ってきた我がお腹が少しでも減るようにと布袋様のまあるいお腹をさすってお祈りしました。
鐘楼(重要文化財)
鐘楼(重要文化財)
階上に梵鐘があります
左にかけてあるのが巡照版です
朝夕これを打って一山の僧の戒めの句を声高に唱えます
謹白大衆(謹んで大衆に白す)
生死事大(生死は事大にして)
無常迅速(無常は迅速なり)
各宜醒覚(各々宜しく醒覚すべし)
慎勿放逸(慎んで放逸する事勿かれ)
伽藍堂(重要文化財)
斎堂(重要文化財)
斎堂(重要文化財)
食堂です。中央には緊那羅王菩薩が祀ってあり、約三百人が一堂に会して食事する事ができます。
表の額と聯は木庵禅師筆で共に重要文化財です。魚梛(魚板)は木魚の原型になったもので儀式や行事の時刻を報じる時に打たれ当山の時計に当たるものです。
雲水が棒で打つと山内の隅々迄響き渡る音が出ます。
堂前の生飯台は食前に一箸の飯を餓鬼や鬼子母神などに施しをする台です。
ご朱印
斎堂の奥にある寺務所で、ご朱印が頂けます。
今回は大雄宝殿ご朱印と布袋様のご朱印を頂きました。
大雄宝殿(だいおうほうでん)(重要文化財)
ご朱印を頂いて出てきましたら、丁度大雄宝殿で何らかの儀式が行われる時間に当たったみたいで、開パンが打ち鳴らされて僧侶が続々と集まり、礼拝が始められました。
これは珍しいものに出会えたと思って、しばらく見学させて頂きました。
大雄宝殿(だいおうほうでん)(重要文化財)
本堂です。中央は釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)。向かって右が迦葉(かしょう)尊者。左は阿難(あなん)尊者。両側は十八羅漢と共に明朝時代の彫刻家范道生(はんどうせい)の作です。
用材は全て鐵梨木(チーク)が使用されており表の蛇腹の天井桃戸など中国式の得意なものです。朝暮の勤行は明音を用い、現在中国で行われているのと殆ど同じです。
「大雄宝殿」の額 開山隠元禅師筆
「萬徳尊」の額 二代木庵禅師筆
堂内の聠 開山、木庵、悦山各禅師筆
堂外の聠 即非禅師及び高泉禅師筆
以上全部重要文化財
「真空の額」 明治天皇御宸筆
法堂(はっとう)(重要文化財)
怨親平等塔
怨親平等塔由来
昭和十二年日中両国干戈を交うるに至り痛恨にも両国の戦病死者夥し。
当寺はその創立中国と最も深き因縁にあり当時の住職山田玉田和尚いたくこれを愁い戦禍に斃れた両国の将兵及び諸民の精霊を慰めんと妙法蓮華経六万九千六百四十三文字を一字一石に謹書して宝篋印塔に収めその冥福を祈ることを発願された偶々信者四日市九鬼悠儼氏及びその一族深く感激してこの塔を建立し怨親平等塔と銘し、両国が一日も早く友好の昔にかえり、親和親善の浄界実現を心から祈願された。
禅堂(重要文化財)
祖師堂(重要文化財)
祖師堂(重要文化財)
中央に達磨大師像、左右に当山歴代住職の位牌、達磨大師は釋尊から廿八代目中国に渡って禅を伝え禅宗の初祖となる。柱聠額は二代木庵禅師筆で重要文化財です。
鼓楼(重要文化財)
鼓楼(重要文化財)
階上に大きな太鼓があります。儀式の時には向かい側の梵鐘とこの太鼓を交互に打ち鳴らします。一趣荘厳な雰囲気が境内一円に漲ります。
「萬福寺松隠堂」七棟(重要文化財)
奥までは入れない様子なのですが、通玄門、開山堂、客殿が拝観できます。
他に舎利殿、寿蔵、庫裏、侍真寮があり、附:裏門、宝蔵、鐘楼、廊2棟(開山堂東 – 天王殿北廊間)、石碑亭が重要文化財に指定されています。
黄檗駅 等身大パネル
等身段パネルのQRコードを読み込み、マイARをゲットしますとチェックインも完了。
バグったまま、第2弾をコンプリートしてしまいました。
次回第3弾は、3月23日から4月21日になります。
宇治川の両岸に桜が咲いている時期に行ってみたいし、宇治十帖の碑を巡ることを考えています。
京アニショップ
今回の旅の最後に、京都アニメーションの京アニショップに立ち寄りました。
黄檗駅から一駅です。
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