【西国三十三所巡り】 第二十五番札所 御嶽山 播州清水寺(Bansyu-Kiyomizudera) 参拝記


第二十五番札所 御嶽山 播州清水寺(Bansyu-Kiyomizudera)

2016年9月5日の記事(改訂版)

9月2日
相変わらずの曇り空で、出かけるのには良い感じの日。
次の西国三十三所になります、第二十五番札所 御嶽山 播州清水寺(Bansyu-Kiyomizudera)に行ってきました。

往路

先の計画にも書いた通り、播州清水寺は山の中にあり、公共の交通手段が一日二往復の神姫バスしかありません。

神姫バス
相野発10:20 → 清水寺着11:06
相野発12:50 → 清水寺着13:36

清水寺発12:08 → 相野着12:43
清水寺発14:50 → 相野着15:36

これに合わせるように、大阪駅から快速に乗って向かいます。

大阪発9:21 → 相野着10:11 (JR丹波路快速・篠山口行)

大阪駅
大阪駅

相野に着くと、清水寺行きのバスが待ってました。

この少し小さめのバスには、結構乗客が乗られます。
途中、兵庫陶芸美術館こんだ薬師温泉に寄るので、地元の方以外にも需要があるみたいですね。
山間部や田園風景のところばかり走りますし、おじいちゃん、おばあちゃんが降りられる際には、なぜか席に忘れ物をして行かれるので、みんなで忘れ物をしていないか注意し合うという、ほんわか、ほのぼの感が堪りません(笑)

清水寺の拝観料の徴収システムは面白い仕組みになっていまして、山の麓に高速道路のような料金所があって、ここで参拝者一人500円を徴収されます。
バスの場合は降りる際に運賃580円と拝観料500円を合わせて支払う仕組みです。
自家用車の場合はこの料金所で人数分を徴収されて、観光バスの場合ならツアーの人数分を予め用意しておくんでしょうね。

降車時に料金を支払い、運転手さんから清水寺の境内の案内が書かれたパンフレットを頂きました。
清水寺の山門前の終点まで乗っていたのは5人でした。

相野駅
相野駅
清水寺行き神姫バス
清水寺行き神姫バス

念の為、帰りのバスの時間を調べましたが、事前の情報で間違いありません。

清水寺 バス停
清水寺 バス停

境内を歩く

播州清水寺の公式サイトの境内案内図が分かりやすいです。

仁王門

仁王門
仁王門

仁王門

この楼門は以前には旧参道の頂上にあったが、昭和四十年台風にて全壊。昭和五十五年末、場所をかえてこの地に新築再建。神戸大学多淵敏樹教授の設計。
金剛力士像は大正十年奈良の仏師菅原大三郎氏の遺作。
昭和五十三年大三郎氏の子息、東京芸大名誉教授菅原安男先生修復。
丹塗りは平成三年末に完成。

仁王門
仁王門
金剛力士像
金剛力士像
金剛力士像
金剛力士像

仁王門をくぐって、振り返ったところ。

仁王門
仁王門

清水寺縁起

仁王門をくぐって左が参道になります。
途中、縁起が書かれた案内が三つありました。

清水寺縁起
清水寺縁起

清水寺縁起

あはれみや
普き門の品々に (あまねき かどの しなじなに)
なにをかなみのここに清水 (きよみず)

推古、聖武 両帝勅願所 清水寺

本尊 千手観音(大講堂)
十一面観音奉安(根本中堂)

ご開山法道仙人(せんどうせんにん)は印度の僧で今より千八百年前、人皇十二代景行天皇(けいこうてんのう)の御時に中国、朝鮮を経て当山に止住され、鎮護国家豊作を祈願された。
推古三十五年(627)推古天皇(すいこてんのう)勅願により、根本中堂建立、仙人一刀三礼の秘仏十一面観音、脇士毘沙門天王、吉祥天女の聖像を安置された。
由来この地は水に乏しく、仙人、水神に祈って霊泉湧出し感謝の余り清水寺(きよみずでら)と名付けられた。
神亀二年(725)聖武天皇(しょうむてんのう)は、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)に勅願して大講堂を建立、長く講経の道場として法灯を輝かされた。花山法皇西国御巡拝のとき、この堂に詣で給いて、御詠みあらせられてより、西国第二十五番の札所と称するに至る。

観音さま(観世音菩薩)
観音さま(観世音菩薩)

観音さま(観世音菩薩)

観音さまと云えば、慈悲温愛にみちた親しみ深い仏さまであります。
そのような苦悩が身にふりかかっていても、観音さまの名を唱える時、温かい母性愛にも似た、ふくよかな慈愛をもって聞きとどけて下さいます。そしてその苦悩から救って下さるのです。
もし火災・交通事故・病気など災禍にあった時、一心に祈願すればその声を観じて災いからよき方に導いて下さるのです。
又心に罪障を持てる者、愚かな行為をする者、心に迷いある者も観世音を崇め敬うならば、よき判断をし無量の手だてをもって大悲大慈によってお導きいただけるのです。
家内安全・夫婦和合・福智増進・除病延命・厄除消除等にも観音さまをお祈り下さい。
願いごとはどのようなことでもお聴きとどけて下さる霊験あらたかな仏さまでございます。

坂上田村麻呂佩刀を奉納す
坂上田村麻呂佩刀を奉納す

坂上田村麻呂佩刀を奉納す

桓武天皇(かんむてんのう)の頃、征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)(758~811)丹波路より当寺に参籠、蝦夷の逆賊高磨を打取り、鈴鹿山の鬼神退治を遂げたが、聖者大悲観音の霊験を受けその報謝として佩刀騒速(そはや)副剣の二振を奉納す

 


清水茶屋

しばらくいくと、「清水茶屋」があります。
こちらで休息ができます。
食事や飲み物、お土産物が置いてあります。

清水茶屋
清水茶屋

参道をゆく

参道をずんずん歩いてゆきますと、見事な石垣が見えてきます。
清水寺の広い境内の全景図もあって、ワクワクさせられます。

参道
参道
西国第二十五番 御嶽山 清水寺全景
西国第二十五番 御嶽山 清水寺全景

途中に綺麗なトイレが設けられていまして、バリアフリー対応もされていて、大変助かりました。
外観の写真を撮れば良かったですね。
(都合二回お世話になりました。)

パンフレットに月見亭というのが載っていまして、参道から見上げるとそれらしい建物が見えたので、向かってみますと、途中に怖いモノ見つけてしまいました。

月見亭を望む
月見亭を望む
清水寺 境内略図
清水寺 境内略図
月見亭
月見亭

月見亭
月見亭

赤松氏範(うじのり)の切腹石

赤松氏範の切腹石
赤松氏範の切腹石

赤松氏範(うじのり)の切腹石

赤松則村円心の四男又四郎氏範は、永徳三年(南朝弘和三年)(1386)八月、山名・細川の軍勢に追われ当山上で、一族父子五人 郎党一三七名 自害切腹する。

(補記)説明文の元号がなぜか3年ずれています。
西暦1386年は、至徳三年(南朝元中三年)に当たります。

この話は現地で観るまで知らなかったので、びっくりしました。
戦火に遭って再興される寺院は数多ありますが、播州清水寺は大正二年の山火事に遭って全焼し、その後再建したことが書かれてあるのみで、創建時からの歴史が良くわからんかったのです。


(余談)赤松氏について

興味が湧いたので、鎌倉時代末期から安土桃山時代にかけて播磨を支配した、赤松氏のことをちょっと調べてみたいと思いました。

説明書にある「赤松則村(あかまつのりむら)(円心(えんしん))(建治三年(1277)~正平五年/観応元年(1350)」が、やはり歴史上でも一番有名かと思います。
則村は赤松氏四代に当たり、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)を中心とした鎌倉幕府討幕運動である元弘の乱(元弘元年(1331)~元弘三年/正慶二年(1333))の際、護良親王(もりよし/もりながしんのう)(大塔宮(おおとうのみや))の令旨を受けていち早く挙兵し、建武政権の樹立に功績を挙げ、建武の新政において播磨守護職に補任されたことにより台頭します。
その後、政争に巻き込まれて播磨守護職を没収されて領地に戻りますが、新政に反した足利尊氏(あしかがたかうじ)に味方して室町幕府の樹立に多大な貢献をし、赤松氏は京極氏・一色氏・山名氏と並ぶ四職の一つとして幕政に参画することになっていきます。

則村の嫡男範資(のりすけ)は、父を助けて室町幕府の樹立に貢献し、摂津守護職を与えられます。
二男の貞範(さだのり)も同じく、美作守護職を与えられます。
三男の則祐(そくゆう/のりすけ)は、元弘の乱が起こった時は、比叡山延暦寺に居り、延暦寺の天台座主であった護良親王に付き従い、吉野城、熊野などで転戦します。護良親王の使者として倒幕の令旨を父則村に届け、赤松氏は播磨で挙兵し、父に従って東上し瀬川合戦にも従軍、京都の六波羅探題を攻撃するという勲功を上げます。父に従って、室町幕府樹立後は備前守護職を与えられ、赤松氏は四ヶ国の守護大名となるのです。

切腹石の四男又四郎氏範(うじのり)ですが、武勇に優れていましたが、どうも困ったちゃんだったようです。
室町幕府樹立後の足利将軍家の内紛、南北朝の対立等が背景にあって、非常にややこしい時代であった当時、正平五年/観応元年(1350)に則村が死去すると、上の三人の兄弟と不仲であったため、観応の擾乱では三人の兄が北朝に与したのに対して、氏範は南朝に与します。
文和四年/正平十年(1355)には京を攻め落とすなど、大塔宮護良親王の皇子の興良親王(おきよし/おきながしんのう)(南朝方の征夷大将軍、大塔若宮、赤松宮)を奉じて、南朝方の有力武将として活躍します。
延文五年/正平十五年(1360)興良親王が南朝に対して謀反を起こすと、氏範も同調して南朝に叛しますが、南朝の追討軍に敗れ、兄の則祐がいる播磨に行って降伏します。
最後は元中三年/至徳三年(1386)に南朝方として挙兵しますが、幕府から追討を受け、子息ら一族郎党共に清水寺にて自害しました。享年57。

鎌倉幕府の後半の倒幕辺りから建武の新政を経て、室町幕府樹立と南北朝の対立、三代将軍足利義満の南北朝統一までの間の時代は、日本史上で難しくてあまり触れられないところだったでしょうし、太平記を昔に読んだことがありますが、どうにもややこしくて理解が及ばない時代でした。
高校生の頃、登場する人物の相関関係を図に書いてはみたものの、あっちに付いたりこっちに付いたりで、結局は動く駒を使ってでないと理解や説明をするのが難しかった記憶がありますが、今ではすっかり忘れてしまいました。(参考サイト:ウィキペディア)

 


芭蕉翁発句塚、朗霞庵古谷句碑

切腹石の隣に芭蕉の発句塚と、朗霞庵古谷(ここく)の句碑がありました。

芭蕉翁発句塚
芭蕉翁発句塚
朗霞庵古谷句碑
朗霞庵古谷句碑

句碑

名月や どの山見ても 皆低き

朗霞庵古谷(ここく)の作 古谷は天明七年(1787)生
西脇市比延町古谷利兵衛の長男 幼名を梅八郎
長じて弥三右衛門 明治五年(1872)の建立
八十六歳自筆の作品 同年七月十二日没


石段を降りまして、薬師堂や大講堂などの伽藍が見えるところに出てきました。

地蔵堂への石段
地蔵堂への石段
清水寺大講堂への案内
清水寺大講堂への案内

手水舎

手水舎
手水舎

薬師堂

薬師堂
薬師堂

薬師堂

本尊 薬師如来
創建 平安時代末期 池之禅尼

現在の建物は 昭和六十年木曽の桧材にて再建。

※池之禅尼(いけのぜんに) 長治元年(1104)生れ
本名は宗子 父は白河法皇の近臣藤原宗兼
池之禅尼の呼称は六波羅の池殿に住み
夫忠盛の死去によって出家したため。

(追記)
平忠盛の正室。平清盛の継母に当たる。

薬師堂
薬師堂

法生池

法生池

辨財天社
辨財天社
法生池
法生池
紗羅の木
紗羅の木

紗羅の木
紗羅の木
桃の花
桃の花
桃の花
桃の花

大講堂

大講堂
大講堂

大講堂

本尊 十一面千手観世音菩薩 脇士 毘沙門天王、地蔵菩薩
創建 聖武天皇 神亀二年(725)

西国二十五番の礼堂、聖武天皇の勅願で行基菩薩の建立と言われている。
永延二年(988)花山法皇御作のご詠歌には

あはれみや 普き門の品々に なにをか波のここに清水

現在の建物は大正二年の火災の後、同六年(1917)京大武田五一博士の設計により当山上の材木(杉材)にて再建。

大講堂前の灯籠
大講堂前の灯籠

大講堂の前は狭いのに、お堂自体は大変大きいので、距離が足らなくて写真に納まりません・・・。
満足のいく写真が撮れませんでした。

大講堂
大講堂
大講堂
大講堂
大講堂
大講堂
大講堂
大講堂
大講堂
大講堂
大講堂
大講堂
大講堂
大講堂
大講堂
大講堂

ご朱印

清水寺 ご朱印
清水寺 ご朱印
清水寺 ご朱印
清水寺 ご朱印

西國第二十五番
播磨國 清水寺
御本尊十一面千手観世音菩薩

あわれみや あまねきかどの しなじなに なにをかなみの ここにきよみず

開基 法道仙人
建立 推古天皇三十五年

兵庫県加東市平木
天台宗 御嶽山 清水寺


本坊・客殿

客殿の門
客殿の門
客殿の門
客殿の門
鬼瓦
鬼瓦
本坊
本坊
本坊
本坊
本坊
本坊

本坊

大正六年、京大武田五一博士の設計により山上の材木(杉材)にて建築。
清水寺の庫裡(くり)で寺務所はこの中にあり、清水寺宿院として宿泊・研修・合宿・昼食等ご利用願っている。(要予約)

本坊より、大講堂の裏側へ回って、石段を登って行きます。

大講堂
大講堂

手水
手水
法生池
法生池
根本中堂へ至る石段
根本中堂へ至る石段
大講堂
大講堂

地蔵堂

地蔵堂
地蔵堂

地蔵堂

本尊 地蔵菩薩
創建 昭和十二年 常行堂跡地

本尊地蔵菩薩は東京芸大名誉教授菅原安男氏の昭和十二年の作。
この地にあった常行堂は後白河法皇の創建と伝えられる。
現在の建物は昭和五十七年神戸大学多淵教授の設計によりアメリカ産ヒバ材にて再建。

地蔵堂
地蔵堂
地蔵堂
地蔵堂
紗羅の木
紗羅の木
紗羅の木
紗羅の木


鐘楼(開運の鐘)

鐘楼(開運の鐘)
鐘楼(開運の鐘)

鐘楼(開運の鐘)

大正二年焼失、同九年再建。
釣鐘は山上にて大正八年五月に鋳造された。
武田五一博士の意匠で、銘は吉田源応天台座主。
この鐘の音は播磨、丹波、摂津の国にひびきわたり、開運の鐘として親しまれております。

鐘楼(開運の鐘)
鐘楼(開運の鐘)
吒枳尼天尊(だきにてんそん)(稲荷社)
吒枳尼天尊(だきにてんそん)(稲荷社)
吒枳尼天尊(だきにてんそん)(稲荷社)
吒枳尼天尊(だきにてんそん)(稲荷社)
聖観世音菩薩
聖観世音菩薩
聖観世音菩薩
聖観世音菩薩

根本中堂

根本中堂

本尊 十一面観世音菩薩 脇士 毘沙門天王、吉祥天女
創建 推古天皇三十五年(627)

本尊十一面観音様は開山法道仙人一刀三礼の秘仏、お前立は東京芸大名誉教授菅原安男先生の昭和五十八年の作。
推古天皇の勅願で金堂として創建。
現在の建物は大正二年の火災の後、同六年(1917)京大武田五一博士の設計により当山上の材木(桧材)にて再建。

根本中堂
根本中堂
根本中堂
根本中堂
法華塔
法華塔
八志路幼稚園記念碑
八志路幼稚園記念碑
安田青風歌碑
安田青風歌碑
記念碑
記念碑
宝篋印塔
宝篋印塔
大塔跡
大塔跡
大塔跡
大塔跡

滾浄水(こんじょうすい) (おかげの井戸)

滾浄水(こんじょうすい)
滾浄水(こんじょうすい)
滾浄水(こんじょうすい)
滾浄水(こんじょうすい)
滾浄水(こんじょうすい)
滾浄水(こんじょうすい)

滾浄水(こんじょうすい) (おかげの井戸)

開山法道仙人様が水神に祈って湧出した霊泉。
清水寺と称される由緒の地。この井戸をのぞきこんで自分の顔を写したら、「寿命が三年延びる」と言い伝えられております。

滾浄水(こんじょうすい)
滾浄水(こんじょうすい)
滾浄水(こんじょうすい)
滾浄水(こんじょうすい)

昼食

一通り見て回ると、時間は13時前頃でした。
バスは14:50です。

とりあえず、清水茶屋まで戻って昼食を頂く事にしました。
「山菜うどん定食」です。
ビールをぷはーっと頂いて、腹ペコだったのですぐに食べ始めてしまい、写真を撮っていないのに途中で気が付きました・・・。

山菜うどん定食
山菜うどん定食

時間つぶし

バスの時間までたっぷり残っていたので、またイチから境内を回り、根本中堂にあるポケモンGOのジムを攻め落として遊びました。

根本中堂
根本中堂

最後に清水茶屋の屋上にある展望台に上って景色を堪能し、帰りのバスに乗り込みました。

清水茶屋 展望台より
清水茶屋 展望台より
兵庫県加東市平木1194

 


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