【西国三十三所巡り】 京都市内の第十五番~十九番札所 まとめ歩き 参拝記(2)


第十五番札所 新那智山 今熊野観音寺 (観音寺)(Imakumano-Kannonji)

2016年6月27日の記事(改訂版)

続きです。

泉涌寺へ

東福寺の東方向に泉涌寺があります。
東福寺の参道から右に曲がって住宅地に入って行って、細い路地をくねくねと10分弱程進んで行きますと、泉涌寺の総門前に出てきます。

今熊野観音寺は、広ーい泉涌寺の中の山内寺院なのです。

泉涌寺総門
泉涌寺総門
泉涌寺
泉涌寺

泉涌寺(せんにゅうじ)
真言宗泉涌寺派の総本山で、皇室とのかかわりが深く、「御寺(みてら)」として親しまれている。
寺伝によれば、平安時代に弘法大師(こうぼうだいし)によって営まれた草庵を起こりとし、法輪寺(後に仙遊寺と改称)と名付けられた後、建保六年(1218)には宋(中国)から帰朝した月輪大師(がちりんだいし)・俊芿(しゅんじょう)に寄進され、大伽藍が整えられた。その際、境内に泉が涌き出たことにちなんで泉涌寺と改められた。仁治三年(1242)の四条天皇(しじょうてんのう)をはじめ、歴代の多くの天皇の葬儀が行われ、寺内に御陵が営まれており、皇室の香華院(菩提所)として厚い崇敬を受けてきた。
広い境内には、運慶(うんけい)の作と伝えられる釈迦仏、阿弥陀仏、弥勒仏の三世仏を安置する仏殿(重要文化財)のほか、釈尊の仏牙(ぶつげ、歯)を祀る舎利殿、開山堂、御所の建物を移築した御座所、霊明殿(れいめいれん)など数多くの伽藍が立ち並んでいる。
寺宝として月輪大師筆の「泉涌寺勧縁疏(かんえんそ)」(国宝)、楊貴妃観音堂に安置される聖観音(しょうかんのん)像(重要文化財)など、多数の貴重な文化財を所蔵する。また、謡曲「舎利」の舞台をしても有名である。
山内の塔頭には七福神が祀られており、毎年成人の日に行われる七福神巡りは多くの参拝客でにぎわう。


第十五番札所 新那智山 今熊野観音寺 (観音寺)(Imakumano-Kannonji)

総門から400mほど泉涌寺の参道を歩いてきますと、ようやく入口に辿り着きます。
今熊野観音寺だけでも境内が広いですから、全部を回るとしたらめっちゃ大変です。

西国三十三所 第十五番札所 いまくまの
西国三十三所 第十五番札所 いまくまの
弘法大師お誕生会 青葉祭法要 於大師堂
弘法大師お誕生会 青葉祭法要 於大師堂

丁度、弘法大師の御誕生法会の青葉祭が大師堂で行われていました!

西国第十五番霊場 今熊野観音寺
西国第十五番霊場 今熊野観音寺
西国第十五番 今熊野観音寺全景
西国第十五番 今熊野観音寺全景
今熊野観音
今熊野観音

今熊野観音

泉涌寺の塔頭で、正しくは新那智山今熊野観音寺という。西国三十三カ所観音霊場第十五番目の札所になっている。
空海(くうかい)が自ら観音像を刻んで草堂に安置したのが当寺のはじめというが、斉衡年間(854~857)左大臣藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)が伽藍を造営したと伝える。文暦元年(1234)後堀河上皇(ごほりかわじょうこう)を当寺に葬るなど暦朝の崇敬を得て栄えた。
伽藍は応仁の兵火で焼失したが、その後、復興されて現在に至っている。本堂には空海作と伝えられる十一面観音像を安置する。
寺域は幽静で、郭公鳥の名所として名高く、本堂は以後の墓地には慈円僧正(じえんそうじょう)・藤原忠通(ふじわらのただみち)・同長家(ながいえ)の墓と称せられる見事な石造宝塔三基がある。

鳥居橋
鳥居橋

鳥居橋を渡り、参道を進んでいきます。

西国第十五番 今熊野観音寺
西国第十五番 今熊野観音寺
西国第十五番霊場 今熊野観音寺
西国第十五番霊場 今熊野観音寺

子護大師

子護大師
子護大師

南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)と唱えながら四国八十八箇所のお砂を踏んでお大師様を廻って下さい


本堂

本堂
本堂
本堂
本堂
本堂
本堂

ご朱印

観音寺ご朱印
観音寺ご朱印
観音寺ご朱印
観音寺ご朱印

西國第十五番
山城國京 今熊野
御本尊十一面観世音菩薩

むかしより たつともしらぬ いまくまの ほとけのちかい あらたなりけり

開基 弘法大師
建立 弘仁年間

京都市東山区泉涌寺山内町
真言宗 新那智山 観音寺


今熊野観音寺 境内

詳細が書かれた案内が無いので、公式ホームページをご参照いただいた方が良さそうです。

境内案内図

三重石塔
三重石塔
五智水
五智水
ぼけ封じ観音
ぼけ封じ観音
大師堂
大師堂
鐘楼
鐘楼
金龍弁財天
金龍弁財天
熊野権現社
熊野権現社
稲荷社
稲荷社
京都府京都市東山区泉涌寺山内町32

昼食

今熊野観音寺を出たのは11時50分頃。
泉涌寺の参道を下って、東大路通を右に行くと、商店が並んでいます。
前に来た時にうどん屋さんがあるのを覚えていたので、入ってみることにしました。

とらや
ご年配のご夫婦のお二人でやっておられる、昔ながらの雰囲気のお店です。
親子丼を頼んだら、おまけでうどんを付けてくれました!

ホントに素朴な好ましい味で、大変美味しゅうございました!

とらや
とらや
とらやの親子丼
とらやの親子丼

大谷本廟

清水寺へ向かう五条坂のすぐ手前には、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の大谷本廟への参道があります。
親鸞聖人(しんらんしょうにん)の廟所には、丁度4年前に癌で亡くなった前妻をお祀り頂いております。
また隣にある實報寺には母方の墓があり、機会があれば一緒に参っていますので、ちょっと寄り道しました・・・。 合掌

京都府京都市東山区五条橋東6丁目 五条橋東6丁目514

第十六番札所 音羽山 清水寺(Kiyomizudera)

冒頭でも触れましたが、清水寺はほんとに人だらけです。
国籍や人種を問わず外国人観光客が多く、修学旅行の学生さん達も交じって、もうめちゃくちゃです(笑)
なるべく人が写らないように、ベストポジションを狙って写真を撮っている姿が目立つのか、外国人の方から記念写真を撮ってくれるよう三回ほど声を掛けられました。

また多くの建造物がありますが、詳しい案内があまり無いので、ウィキペディアから引用させてもらって、まとめてみたいと思います。


仁王門(重要文化財)

仕方なく映っていますが、人で一杯ですよね。
仁王像はほとんど写っていません、失敗です。
上手く写真を撮る場所が確保できません・・・。

仁王門
仁王門

境内入口に建つ朱塗りの門。三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺きで、正面左右に鎌倉時代末期の金剛力士(仁王)像を安置する。室町時代の建立で、馬駐(うまとどめ)、鐘楼とともに寛永六年(1629)の大火をまぬがれた。(ウィキペディアより引用)

仁王門
仁王門
仁王像
仁王像
仁王像
仁王像

西門(重要文化財)

西門
西門

仁王門をくぐって右方の小高い位置に建つ。寛永八年(1631)の建立。切妻造、檜皮葺きで、形式的には八脚門だが、正面に向拝、背面には軒唐破風(のきからはふ)を付し、内部には床板と格天井を張る特殊な形式の門である。全面朱塗り、軒下の組物や蟇股(かえるまた)などは極彩色とするなど、門というよりは神社の拝殿のように見え、特殊な用途をもった建物と推定されている。(ウィキペディアより引用)


鐘楼(重要文化財)

鐘楼
鐘楼

三重塔(重要文化財)

三重塔
三重塔

この塔は当山ご本尊観世音菩薩の御霊験によって嵯峨天皇(さがてんのう)の皇子ご誕生あり、承和十四年(847)葛井親王(かどいしんのう)が勅命を奉じて創建されたと伝わる。
現在の塔は寛永九年(1633)の再建で、日本最大級の規模をもち、三間四方、高さ29.7メートルに達す。昭和六十二年(1987)文化庁の助成をえ、京都府教育委員会に委託して解体修理、彩色復元の落慶をみた。
一重内陣の中央に大日如来坐像を安置し、四面の壁に真言八祖像、四天丸柱に密教的な仏画を描き、柱は雲天竜、天井その他は飛天・華型幾何文様が極彩色で全面荘厳されている。
なお今回の修理で全重を総丹塗に戻し、他塔にその例を見ない各重の丸桁・台輪・長押などの各種極彩色文様をすべて寛永の昔に復元した。

三重塔
三重塔

中興堂

中興堂
中興堂

春日社(重要文化財)

春日社
春日社

成就院

成就院
成就院

境内北方にある、清水寺の本坊。池泉回遊式庭園は国の名勝に指定されている。秋季などに行われる特別公開の時期を除き、通常は非公開である。なお、内部での撮影は原則として禁止となっている。2010年に中島潔が46枚の襖絵「かぐや姫・風の故郷(春夏)・風の故郷(秋冬)・大漁」を奉納した。(ウィキペディアより引用)


随求堂(ずいぐどう)

随求堂
随求堂

仁王門から参道を進んだ正面に位置する。もとは塔頭慈心院の本堂で、慈心院を中興した僧・盛松により、享保二十年(1735)に建立された。本尊の秘仏・大随求菩薩像は八臂の坐像で、享保十八年(1733)の作である。脇侍として吉祥天立像と毘沙門天立像(重要文化財)を安置していたが、後者は宝蔵殿に移されている。堂の地下の暗闇を歩く「胎内めぐり」が行われている。(ウィキペディアより引用)


経堂(重要文化財)

経堂
経堂
経堂
経堂

三重塔の隣に建つ入母屋造、瓦葺きの五間堂。寛永再興時の再建。内部には釈迦三尊像(脇侍は文殊菩薩と普賢菩薩)を安置する。堂は工芸品などの展示場として使用されることもある。(ウィキペディアより引用)


開山堂(田村堂)(重要文化財)

開山堂(田村堂)
開山堂(田村堂)
開山堂(田村堂)
開山堂(田村堂)

経堂の隣に建つ入母屋造、瓦葺きの三間堂。開山堂とも称する。寛永再興時の再建。内部には開放形の厨子内に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)夫妻像を安置し、その向かって左に行叡(ぎょうえい)と延鎮(えんちん)の像を祀る。いずれも清水寺創建に関わる人物である。堂内は通常は非公開。(ウィキペディアより引用)


北総門(重要文化財)

北総門
北総門

朝倉堂(重要文化財)

朝倉堂
朝倉堂

拝観受付所と本堂を結ぶ廊下の北側にある。入母屋造、瓦葺きの五間堂。清水観音を篤く信仰した、越前の守護大名朝倉貞景(あさくらさだかげ)の寄進した建物だったことから朝倉堂と称するが、現在の建物は寛永再興時の再建。内部には秘仏の千手観音、毘沙門天、地蔵菩薩の三尊のほか、西国三十三所の観音像を安置する。堂内は通常は非公開。(ウィキペディアより引用)


本堂(国宝)

本堂
本堂
本堂
本堂
国宝 清水寺本堂
国宝 清水寺本堂

清水寺本堂(国宝)

寛永十年(1633)徳川三代将軍家光(いえみつ)の寄進再建。東・北・西に裳階をつけた正面十一間36メートル強。奥行九間30メートル強。棟高18メートルの高大な観音菩薩を祀る聖堂である。
創建は平安建都と同期(八世紀末)坂ノ上田村麻呂将軍夫妻の寄進による。
起り檜皮葺き、寄棟造りの屋根や軒廻りの蔀戸吊りに優美な平安王朝の宮殿と貴族の寝殿造り邸宅の面影を伝承している。
正堂最奥の内々陣の大須弥壇の上に「清水型観音」といわれる清水寺独特の姿をする本尊十一面千手観音と脇侍の地蔵菩薩・毘沙門天(三尊とも秘仏で、それぞれ国宝の厨子内に安置され、33年毎に開扉される)および千手観音を守護する二十八部衆、風神・雷神を全体揃えて奉祀する。
外陣は礼堂で、普段一般の参拝は此所で礼拝する。ために内側正面の欄間に本尊・脇侍の御正体を大きな円鏡形に彫刻して奉懸する。
また他の各襴間には江戸時代の大絵馬が20面近く奉納されており、中央の間の金箔の太丸柱や折上小組格天井・三尊の梵字を彫刻する彩色蟇股などに江戸初期桃山建築様式の華麗さを見る。
なお礼堂の東西両端に翼廊(楽舎)を突出し、廊下の南側へ〝舞台〟を張り出している。
西翼廊(車寄せ)の鉄製の大錫杖(重さ90㎏、長さ2m62cm)・小錫杖(14kg)と高下駄(一足12kg)は、明治初年、修行者たちが本堂下の音羽の滝から百段の石段万度上り下りの満願成就を感謝して奉納したもの。弁慶(べんけい)の持ち物にふさわしいが、各所に奉納者の刻名が残っている。すぐ前には出世大黒天が笑座し。左手の廂間内には塩断ち阿弥陀が鎮座する。その窓下長押の深い痕筋は堂廻りの数取り串の歴史的な擦り傷の跡である。
東出口の西側欄間には臨済宗の中興の祖と称えられる白隠禅師(はくいんぜんじ)(1689~1766)揮毫の観音経偈句「慈眼視衆生・福聚海無量」の竪額が揚がる。

国宝 本堂舞台
国宝 本堂舞台

本堂舞台(国宝)

「清水の舞台」といわれ、本堂(国宝)の付属建築物で、平安時代の昔から構架されてきた。
現在の舞台組みは寛永十年(1633)徳川三代将軍家光の寄進による再建のままで、欄干親柱の金銅製宝珠に「寛永拾歳」と銘刻されている。
本堂外陣(礼堂)の廊下から南の谷へ間口約18メートル、奥行き約10メートルに、長さ5.5メートル、幅30~60センチ、厚さ10センチの檜板を敷きつめ檜舞台として張り出し(舞台板は20~30年毎に張り替える) 床下は巨大な欅の柱に貫を縦横に通し楔でとめて頑強に支え、いわゆる舞台造りになっている。建築学的には、懸造りといい、礼堂の下から長短の欅柱で構築されており、観音様のお住まいとされる南インドの峻険な補陀落(ポトラガ)山中の宝殿に実に似つかわしい。最南端は錦雲渓の急崖に13メートル強の高さで建ち「清水の舞台から飛び下りるつもりで・・・」の諺を生んできた。
本来は本堂に奉仕する御本尊千手観音様に向かって舞楽を奉納する、名実共に「舞台」で、現に重要な法要には舞楽、芸能などを奉納している。東、西両側の翼廊は、その楽人たちの詰める楽舎である。
この舞台からの、錦雲渓をへだてた向山の子安の塔と阿弥陀ヶ峰の眺めや、京都市街、西山の遠望は、まことに見事である。
左下方には「清水寺」の寺名を由来する音羽の滝がこんこんと三筋の清水を流し、その上手には同じく舞台造りで奥の院(重要文化財)が建つ。


本堂から子安塔を望む、その他遠望

本堂から子安堂を望む
本堂から子安塔を望む
本堂から子安堂を望む
本堂から子安塔を望む
本堂から京都市内を望む
本堂から京都市内を望む

納経所

納経所
納経所

こちらでご朱印が頂けます。


ご朱印

清水寺 ご朱印
清水寺 ご朱印
清水寺 ご朱印
清水寺 ご朱印

西國第十六番
山城國京 清水寺
御本尊十一面千手千限観世音菩薩

まつかぜや おとわのたきの きよみずを むすぶこころは すずしかるらん

開基 延鎮上人
建立 宝亀十一年

京都市東山区清水
北法相宗 音羽山 清水寺


釈迦堂(重要文化財)

釈迦堂
釈迦堂

本堂の先の山腹に建つ、寄棟造、檜皮葺きの三間堂。寛永再興時の再建。昭和四十七年(1972)の集中豪雨による土砂崩れで倒壊し、3年後に旧材をもって復元された。(ウィキペディアより引用)

隣にある阿弥陀堂(重要文化財)から先の奥の院(重要文化財)までは、修復工事中で行けませんでした。


子安塔へ向かい、清水の舞台を遠望す

本堂
本堂
本堂
本堂
清水の舞台
清水の舞台
清水の舞台
清水の舞台
紫陽花
紫陽花
清水の舞台
清水の舞台
清水の舞台
清水の舞台

子安塔(重要文化財)

子安塔
子安塔

奥の院前の道を南の清閑寺方面へ歩いた先にある、塔頭・泰産寺の三重塔。高野山の木食応其(もくじきおうご)が造営、寛永再興時に再建された。高さは15メートルで、仁王門近くにある三重塔の約半分である。元は仁王門下の南側、警備詰所のあたりにあったが、明治四十四年(1911)現在地に移築された。名前のとおり、安産に大きな信仰を集めてきた。(ウィキペディアより引用)


音羽の滝

人が多過ぎて、撮影できませんでした。
子供に水浴びをさせている外国人が居ましたが、マナー違反が甚だしい・・・。


阿弖流爲、母禮の碑

阿弖流爲、母禮の碑
阿弖流爲、母禮の碑
阿弖流爲、母禮の顕彰碑
阿弖流爲、母禮の顕彰碑

八世紀末頃、日高見國胆沢(いさわ、岩手県水沢市地方)を本拠とした蝦夷の首領・阿弖流爲(アテルイ)は中央政府の数次に亘る侵略に対し十数年に及ぶ奮闘も空しく、遂に坂上田村麻呂の軍門に下り同法の母礼(モレ)と共に京都に連行された。
田村麻呂は敵将ながらアテルイ、モレの武勇、人物を惜しみ政府に助命嘆願したが容れられず、アテルイ、モレ両雄は延暦二十一年(802)河内国で処刑された。
この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内にアテルイ、モレ顕彰碑を建立す。

京都府京都市東山区清水1丁目294

第十七番札所 補陀洛山 六波羅蜜寺(Rokuharamitsuji)

清水寺から松原通を西に降りて行き、東大路通を越えてしばらく行って、下の石碑か西福寺の六道の辻地蔵尊が目印になると思いますが、辻を左に曲がるとすぐに六波羅蜜寺があります。

西国十七番 六波羅蜜寺
西国十七番 六波羅蜜寺
六波羅蜜寺
六波羅蜜寺
六波羅蜜寺
六波羅蜜寺

六波羅蜜寺

天暦五年(951)、疫病平癒のため空也上人(くうやしょうにん)により開創された真言宗智山派の寺院で、西国三十三所観音霊場の第十七番札所として古くから信仰を集めている。空也上人の自刻と伝えられる十一面観音立像(国宝)を本尊とする。
空也上人は醍醐天皇(だいごてんのう)の第二皇子で、若くして出家し、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えたことで知られ、今に伝わる六斎念仏の始祖である。
往時は寺域も広く、平家の邸館や鎌倉幕府の探題が置かれるなど、源平盛衰の史跡の中心でもある。宝物館には定朝の作といわれる地蔵菩薩立像のほか、空也上人立像、平清盛(たいらのきよもり)坐像、長快(ちょうかい)作の弘法大師像など数多くの重要文化財を安置し、境内の十輪院が仏師運慶一族の菩提寺であったことから、本尊の脇に祀られていたという運慶(うんけい)・湛慶(たんけい)坐像も所蔵している。
年中行事として、正月三が日の皇服茶、八月の萬燈会、かくれ念仏として知られる十二月の空也踊躍念仏(国の重要無形民俗文化財)が有名である。

門を入ったところ
門を入ったところ
弁財天堂
弁財天堂
国宝秘仏 辰年 御開帳 十一面観世音菩薩立像
国宝秘仏 辰年 御開帳 十一面観世音菩薩立像

国宝
十一面観世音菩薩立像

重要文化財
薬師如来坐像(藤原時代)
地蔵菩薩立像(藤原時代)
多聞天立像(藤原時代)
広目天立像(藤原時代)
持国天立像(藤原時代)
増長天立像(鎌倉時代)
地蔵菩薩坐像(鎌倉時代)
吉祥天女像(鎌倉時代)
閻魔大王像((鎌倉時代)
弘法大師坐像(鎌倉時代)
空也上人立像(鎌倉時代)
平清盛坐像(鎌倉時代)
運慶坐像(鎌倉時代)
湛慶坐像(鎌倉時代)

十一面観音像
十一面観音像
平清盛公の塚
平清盛公の塚
阿古屋塚
阿古屋塚

阿古屋塚
阿古屋の菩提を弔うため鎌倉時代に建立す。
石造宝塔は鎌倉時代の作で、その下の台座は古墳時代の石棺の石蓋を用いている。

歌舞伎 壇浦兜軍記「阿古屋」
平家の残党、悪七兵衛景清の行方をさがすため、想い人で五條坂に住む白拍子阿古屋を捕え、代官秩父庄司重忠は阿古屋に景清の所在を問い質す。阿古屋は知らずと申し開きをするが、詮議のために弾かせた琴、三味線、胡弓などの調べに一点の乱れのないことに感動した重忠は阿古屋が景清の所在を知らぬことが真実であると知り釈放する。「阿古屋の琴責め」とも称される。
平家物語の裏面に隠された「阿古屋」の悲恋を語り伝えるためにこれを記す。

六波羅堂の地蔵
六波羅堂の地蔵
本堂
本堂

ご朱印

六波羅蜜寺 ご朱印
六波羅蜜寺 ご朱印
六波羅蜜寺 ご朱印
六波羅蜜寺 ご朱印

西國第十七番
山城國京 六波羅堂
御本尊十一面観世音菩薩

おもくとも いつつのつみは よもあらじ ろくはらどうへ まいるみなれば

開基 空也上人光勝
建立 天暦五年

京都市東山区松原通大和大路東入
真言宗 補陀洛山 六波羅蜜寺

京都府京都市東山区轆轤町 五条通大和大路上ル東

第十八番札所 紫雲山 六角堂(Rokkakudo) 頂法寺(Tyouhouji)

六波羅蜜寺から六角堂までは、GoogleMAPで最短ルートを検索しますと、2.4km、徒歩28分と出ました。
時間に余裕があれば、途中で休憩を挟みながら行けば良いと思います。

六角堂
六角堂

六角堂

紫雲山頂法寺と号する寺で、本堂が六角宝形造であることから、一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。
開基は聖徳太子(しょうとくたいし)で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。早くから人々の崇敬を受け、弘仁十三年(822)には嵯峨天皇(さがてんのう)の勅願所となり、また長徳二年(996)には花山法皇(かざんほうおう)の御幸があり、西国三十三所観音霊場(現十八番の札所)となったと伝えられる。建仁元年(1201)、親鸞聖人(しんらんしょうにん)が当寺に一〇〇箇日間参籠して霊告を受け、後に真宗を開宗する根源となった。
本堂には、聖徳太子の持仏と伝える本尊如意輪観音像、親鸞像、毘沙門天立像(重文)などを安置する。本堂前の六角形の礎石は臍石といい、古来、京都の中心に当たるとされてきた。
また、本堂北の本坊は池坊と呼ばれ、室町時代以降、多くのいけ花の名手を輩出した所で、華道発祥の地として有名である。現在も池坊華道の拠点となっている。

六角堂 山門
六角堂 山門
本堂(六角堂)
本堂(六角堂)
不道明王堂
不道明王堂
不動明王
不動明王

不動明王
お不動様は、右手に剣を持ち左手に剣索を握っておられます。これはふりかかる 災厄を断ち切り、この世の迷いの世界に溺れそうになっている私たちを引っ張り上げるため、しっかりと握りしめておられるのです。
真言を唱え、一心に祈れば、必ずお救い下さることでしょう。

石不動
石不動
灯篭
灯篭
本堂(六角堂)
本堂(六角堂)
縁結びの柳
縁結びの柳
縁結びの柳(六角柳)
縁結びの柳(六角柳)
手水舎
手水舎
六角堂 十六羅漢
六角堂 十六羅漢

六角堂 十六羅漢
羅漢様とは、仏の教えを護り伝えることの出来る優れたお坊様に与えられた名前です。十六と言うのは、方位の四方八方を倍にした十六を表し、あらゆる場所に羅漢様が居られることを意味しています。
この羅漢様は、「和顔愛語(わげんあいご)」を実践されいつも「にこにこ」されています。「和顔愛語」の教えとは、いつも優しい顔つきで、穏やかに話をするよう心がけでさえいれば、必ず良い報いがあると説かれたものです。みなさんも、この羅漢様のように一日でも多くの「一日にこにこ」を心がけましょう。

邪鬼
この羅漢様の周りには邪鬼がいます。仏教をなかなか理解せず、ひねくれて仏教信者とならない。そんな衆生を邪鬼といいます。中には改心した邪鬼もいて、ここ六角堂には、羅漢様の周りで仏法を学びながらお守りしている者や、本堂前にある大香炉を自分から大喜びで背中に乗せるけなげな邪鬼もいます。ここの邪鬼は皆、自らすすんで縁の下を支えています。

六角堂 十六羅漢
六角堂 十六羅漢
本堂(六角堂)
本堂(六角堂)
親鸞上人
親鸞上人

親鸞上人

親鸞上人(しんらんしょうにん)は毎夜、比叡山より当時本堂に百日参籠された。
その九十五日目の暁の夢で、当時御本尊より「法然(ほうねん)の許へ行け」との示現を得た。このお告げによってまた再び百日参籠され、当寺より法然上人の許へと通った。
それから二年後、また夢中に「行者宿報女犯我成王女身被犯・一生之間能荘厳・臨終引導正極楽」の偈文を授かり、これによって日本に新しい救いの教えである、浄土真宗を開かれたのである。
このお姿は比叡山より当時本堂に参籠され、又再び比叡山へお帰りになろうとされているお姿です。

親鸞堂
親鸞堂

親鸞堂 見眞大師(親鸞上人)
親鸞上人は、建仁元年(1201)二十九歳の時、毎夜叡山を下り、この六角堂に百日参籠され、夢中に四旬の偈文(げもん)を授かり、浄土真宗の開祖となられた。
ここには、夢のお告げを聞いておられる姿「夢想之像」と六角堂参籠の姿を自刻されたと伝える「草鞋の御影」を安置する。

親鸞上人像
親鸞上人像
親鸞堂
親鸞堂
唐崎社
唐崎社
山門より境内を望む
山門より境内を望む

ご朱印

納経所でご朱印が頂けます。

六角堂 ご朱印
六角堂 ご朱印
六角堂 ご朱印
六角堂 ご朱印

西國第十八番
山城國京 六角堂
御本尊如意輪観世音菩薩

わがおもう こころのうちは むつのかど ただまろかれと いのるなりけり

開基 聖徳太子
建立 用明天皇二年

京都市中京区六角通東洞院西入
単立 紫雲山 頂法寺

京都府京都市中京区六角町 東洞院西入堂之前248

第十九番札所 霊麀山 革堂(Koudou) 行願寺(Gyoganji)

西国第十九番札所革堂行願寺 山門
西国第十九番札所革堂行願寺
革堂(行願寺)
革堂(行願寺)

革堂(こうどう)(行願寺)

霊麀山(れいゆうさん)行願寺と号する天台宗の寺院で、西国三十三所観音霊場の第十九番札所である。
寛弘元年(1004)に行円上人(ぎょうえんしょうにん)によって、一条小川(上京区)に創建された。子を孕んだ母鹿を射止めてしまったことを悔いた上人が、常にその皮をまとって鹿を憐れみ、人々から皮聖(かわのひじり)と呼ばれていたことから、 この寺も革堂と呼ばれるようになったといわれている。
以降、人々からの厚い信仰を受け、町堂として大いに栄えたが、度々の災火により寺地を転々とし、宝永五年(1708)の大火の後、この地に移された。
現在の本堂は、文化十二年(1815)に建てられたもので、堂内には行円上人の作と伝えられる本尊千手観音像を安置している。
境内には、都七福神巡りの一つになっている寿老人神堂をはじめ、愛染堂、鎮宅霊符神堂、加茂明神塔などがある。また、宝物館には、若い女性の幽霊が描かれている幽霊絵馬が展示されている。

山門
山門
天道大日如来、延命地蔵菩薩
天道大日如来、延命地蔵菩薩
本堂
本堂
行願寺 本堂、鐘楼
行願寺 本堂、鐘楼
愛染堂
愛染堂
愛染堂
愛染堂
寿老人堂
寿老人堂
寿老人堂
寿老人堂
七福神
七福神
鐘楼
鐘楼
鎮宅霊符神堂
鎮宅霊符神堂
百体地蔵尊、加茂明神塔ほか
百体地蔵尊、加茂明神塔ほか
寺務所(庫裏)
寺務所(庫裏)

ご朱印

革堂(行願寺) ご朱印
革堂(行願寺) ご朱印
革堂(行願寺) ご朱印
革堂(行願寺) ご朱印

西國第十九番
山城國京の革堂 行願寺
御本尊千手観世音菩薩

はなをみて いまはのぞみも こうどうの にわのちぐさも さかりなるらん

開基 行円上人
建立 寛弘元年

京都市中京区寺町通竹屋町上ル
天台宗 霊麀山 行願寺

京都府京都市中京区行願寺門前町 寺町通竹屋町上る行願寺門前町17

銭湯へ

この時期のウォーキングに欠かせないのが、汗だくになるのでとりあえず汗を流したいですよね。
本当は温泉にゆっくり浸かって、疲れを癒すのが良いと思いますが、京都の街中なので銭湯へ行ってみました。
革堂から寺町通を南へ下り、京都市役所の北側にある押小路通を右へ曲がっていくと、「玉の湯」があります。

ここでゆっくりお風呂に浸かって、汗だくになった服を着替えて、夜の京都の町中に消えて行く私でした(笑)

京都府京都市中京区亀屋町401

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