【大阪発!青春18きっぷで行く、西国三十三所巡り】 第二番札所 紀三井山 金剛宝寺(紀三井寺)(Kimiidera)、第三番札所 風猛山 粉河寺(Kokawadera) 参拝記

第二番札所 紀三井山 金剛宝寺 (紀三井寺)

2016年3月22日の記事(改訂版)

3月17日
朝から雲一つ無い澄みきった晴れの天気で、最高気温20度を超える大変気持ちの良い日に、珍しく友人と二人で行って参りました。

先の計画通り、大阪発8:04の紀州路快速に乗る為、阪急梅田駅の改札前に7:50に待ち合わせ。
無事に合流しまして、青春18きっぷを使って大阪駅に乗り込みます。

往路

大阪発8:04 → 和歌山着9:39 (JR紀州路快速 和歌山行)
和歌山発9:45 → 紀三井寺着9:51 (JR紀勢本線 御坊行)

紀州路快速の終点の和歌山で電車を乗り換えて、紀三井寺着は9:51になります。
やっぱり結構遠い感じがします・・・。

紀三井寺駅
紀三井寺駅
紀三井寺駅の和歌山市観光マップ
紀三井寺駅の和歌山市観光マップ
紀三井寺駅の和歌山市みどころ紹介
紀三井寺駅の和歌山市みどころ紹介

私一人だと、さっさとお寺へ向かってしまうところですが、友人の視点で歩くと色々と違ったものが見える様子。
紀三井寺駅を出てすぐに「庭のパン屋さん」というパン屋さんががあって、文字通りアパートの裏庭スペースに自家製のパン屋さんがあるんです。
私は朝食を済ませていたんですが、朝食が未だだった友人は焼きたてのパンの匂いに魅かれたみたいですね。
メロンパンを頂いて、目的の紀三井寺に向かいます。

参道より紀三井寺を望む 新仏殿が見える
参道より紀三井寺を望む 新仏殿が見える
参道より紀三井寺の楼門を望む
参道より紀三井寺の楼門を望む

護国院楼門(重要文化財)

護国院楼門
護国院楼門
紀三井寺 楼門
紀三井寺 楼門
紀三井寺 楼門 金剛力士像
紀三井寺 楼門 金剛力士像
紀三井寺 楼門 金剛力士像
紀三井寺 楼門 金剛力士像

この楼門は、三間一戸の入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺の建物である。寺伝によれば室町時代末期の永正六年(1509)に建てられ、その後、永禄二年(1559)に修理がなされたといわれる。
一階は間口三間、奥行二間あり、切石礎石の上に円柱を立てている。中央部は通路とし、両脇間には金剛力士像を安置している。
一階の頭貫(かしらぬき)上には三手先斗栱(みてさきときょう)を汲むが、通路側には造り出し大虹梁(こうりょう)を架けている。通路の頭貫上には牡丹と菊の彫刻を施した欄間(らんま)を入れてあるが、これは類例が少ない。二階も間口三間、奥行二間であるが、一階より垂木(たるき)一支分だけ偏減している。正背面ともに中央に板扉を設け、その他を塗壁としているのは類例が少ない。斗栱は三手先に尾垂木(おだるき)を付け、軒は二軒繁垂木(しげだるき)で、妻飾りは三ツ手を置き、虹梁大瓶束(たいへいづか)となっている。

紀三井寺 案内
紀三井寺 案内

紀三井寺
皆様 本日はようこそご参詣下さいました。
当山は救世観音宗総本山紀三井寺山金剛宝寺護国院と号し、今から千二百年前の昔、唐僧為光上人によって開創された霊刹であります。
御本尊十一面観世音菩薩(国宝・秘仏)は古来開運厄除の霊験あらたかにして、西国三十三ヶ所霊場第二番札所となっています。山内には清浄水、揚柳水、吉祥水の三つの井戸があり、常に正常な水を湧き出しているところから紀三井寺と呼びならわされています。
境内からは和歌浦湾一帯の景勝が眺望され、古くから多くの文人墨客が杖をひくところで、その眺望絶佳なることを句に詩歌にたたえられています。また山内には桜の木が多く、早咲の桜の名所として全国的に知られています。当山の堂塔には室町時代の多宝塔、桜門、そして桃山時代の鐘楼(いずれも国宝)など昔の姿をそのままに伝えている建物があり、本堂にはご本尊十一面観音様をはじめ秘龕仏千手観音、十一面観音、梵天、帝釈天など国宝指定の文化財をはじめ、数多くの御仏が安置され、四季香煙の絶え間がありません。

結縁坂(結縁厄除坂)

楼門をくぐると結縁坂(結縁厄除坂)と呼ばれる石段があります。
「いきなり、これかー」と思うほど割と急なので、前を歩かれていた方々は、途中で休憩しながら登って行かれていました。
二十五段、三十三段、四十二段、六十一段と、厄年を踏み越えていきます。

結縁坂のいわれ
結縁坂のいわれ
結縁坂
結縁坂
その昔、紀の国屋文左衛門は、若き頃から孝心篤く、母を背負いてこの坂を登り、観音様へお詣りしました。途中ぞうりの鼻緒が切れ、困っているところに玉津島神社の宮司の娘のかよが通りかかり、鼻緒をすげ替えたのが縁となって、二人は結ばれ、宮司の出資金によるみかん船で、大儲けしたという、紀の国屋文左衛門ゆかりの、この坂は結縁坂です。
商売繁盛も良縁成就も、その他何事も先づは信心からと申せましょう。
観音様に心から願いを掛けましょう。

穀屋寺(地蔵菩薩)

穀屋寺(地蔵菩薩)
穀屋寺(地蔵菩薩)

 

普門院(七鈴観音)

普門院(七鈴観音)
普門院(七鈴観音)

滝本院(波切不動明王)

滝本院(波切不動明王)
滝本院(波切不動明王)

芭蕉翁句碑

見上ぐれば 桜しもうて 紀三井寺
芭蕉翁句碑
芭蕉翁句碑

三井寺の三井水(さんせいすい) 清浄水

紀三井寺の三井水(さんせいすい) 清浄水
紀三井寺の三井水(さんせいすい) 清浄水
紀三井寺の三井水 和歌山市指定文化財(名勝)
紀三井寺の三井水 和歌山市指定文化財(名勝)

紀三井寺の三井水とは、この清浄水と南へ約百メートルの山腹にある揚柳水、そして北へ四百メートルのところに所在する吉祥水とからなっており、、縁起による伝承的なものではあるが、名草山の古道に沿ってつくられたもので、昔から名水として貴重に扱われてきたものである。
ことに、各所在地は環境が良く山内の名勝地帯となっている。
三井水は1812年刊行の「紀伊国名勝図絵」1839年刊行の「紀伊続風土記」にもそれぞれ「三瀑泉」「三清泉」とあり、古来から紀三井寺にはかかせない名勝である。

紀三井寺の応同樹

紀三井寺 さくら名所100選の地
紀三井寺 さくら名所100選の地
紀三井寺の応同樹
紀三井寺の応同樹
紀三井寺の応同樹
紀三井寺の応同樹

 

 

 

女厄除坂(三十三段)

女厄除坂(三十三段)
女厄除坂(三十三段)

男厄除坂(四十二段)

男厄除坂(四十二段)
男厄除坂(四十二段)
男厄除坂(四十二段) まだまだ半ば過ぎ
男厄除坂(四十二段) まだまだ半ば過ぎ

宝蔵院

宝蔵院
宝蔵院

松樹院(身代わり地蔵)

松樹院(身代わり地蔵)
松樹院(身代わり地蔵)

還暦厄坂(六十段)

還暦厄坂(六十段)
還暦厄坂(六十段)
還暦厄坂(六十段) 最後の石段がえらい
還暦厄坂(六十段) 最後の石段がえらい

 六角堂

結縁坂を登り切りますと、ほぼ正面に六角堂が見えます。
寛延年間(1750年頃)に、初代・二代目雑賀弥左ェ門が建立。西国三十三所の御本尊(詳細不明)を祀っているとの事。

紀三井寺 六角堂
紀三井寺 六角堂

文塚

「六角堂」の右側(南側)に「文塚」があります。
塚碑は手紙(ハガキ)を模していて、いわゆる差出人と受取人が不明の迷子郵便物といわれるものを焼却された灰を全国から集め、その霊を慰めると同時に、迷子郵便物が無くなるよう祈願する供養塔との事。

文塚
文塚

 こころの灯台・新仏殿

2002年に建てられた鉄筋コンクリート造3階建の新仏殿。
外部の写真を撮り忘れ・・・。
木造立像では日本最大(高さ12m)の「大千手十一面観世音菩薩像」があります。
係りの方曰く、フラッシュ無しなら、撮影しても良いとの事で、撮影させて頂きました。上の階は展望台になっています、有料だったのでケチりました・・・。

大千手十一面観世音菩薩像
大千手十一面観世音菩薩像
大千手十一面観世音菩薩像
大千手十一面観世音菩薩像
大千手十一面観世音菩薩像
大千手十一面観世音菩薩像

展望台に上らずとも、眺望はなかなかです。

和歌の浦湾
和歌の浦湾

護国院鐘楼(重要文化財)

護国院鐘楼
護国院鐘楼
護国院鐘楼
護国院鐘楼
 この鐘楼は、桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)二間の入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺の建物である。
一階は基壇の上に四本の面取角柱を立て、足元を張り出して縦板目張りの袴腰(はかまごし)をつけている。腰組斗栱(ときょう)は三手先とし、その上部に縁を廻らして、周囲に逆蓮柱のある高欄(こうらん)を取り付けている。
二階の柱間は、正面三間、側面二間で、柱間には縦連子窓(れんじまど)をはめている。斗栱は二手先に尾垂木(おだるき)付とし、軒は二軒繁垂木(しげだるき)で、妻飾りは大斗肘木(だいとひじき)に虹梁(こうりょう)・大瓶束(たいへいづか)を架け渡し、破風板には鏑懸魚(かぶらげぎょ)をつけている。建物の中には梵鐘を釣している。
天正十六年(1588)に安部六太郎によって再建されたと伝えられているが、建築様式も桃山時代の特徴をよく示しており、全体的に軽快な印象を与える建物である。

幸福観音

幸福観音
幸福観音
幸福観音
幸福観音

敗戦後の中国大陸からの脱出行は、ドイツのユダヤ人虐殺にも比すべき凄惨をきわめた。国家に軍に見捨てられた非戦闘員や婦女子幼童の多くは、飢餓悪疫に倒れ暴徒に襲われ、故国への懐い抱きつつ曠野に屍をさらした。私たちは今も異境に眠るその墓標なき群霊を思う。春秋三十有余年、更にそれを憶う。念いて悲傷に堪えず。ここに満蒙開拓青少年義勇軍の有志相はかり、哀哭三千観音像を刻み紀三井寺の浄域に祀り、友の拓魂を悼み総ての大陸殉難の霊を追善し冥福を祈念する。南無大悲観世音菩薩 諸霊をおん袖に抱かせ給え。

紀三井寺 本堂

桜の開花には少し早かったのが残念ですね・・・。

西国霊場第二番札所 紀三井寺 本堂
西国霊場第二番札所 紀三井寺 本堂

 

宝暦九年(1759)の建立。観音堂とも称す。入母屋造本瓦葺き、柱間は正面側面とも五間で、千鳥破風を付し、正面には唐破風形・三間の向拝を設ける。虹梁形の貫を用い、頭貫に木鼻を付し、台輪を乗せ、組物は三手先詰組とするなど、細部には禅宗様が用いられている。秘仏本尊の十一面観音像、千手観音像などは、現在は裏手の大光明殿に移されている。高欄の擬宝珠金具は寛政元年(1789)奉納のもの。西国三十三所札所として多くの巡礼者を迎え入れられるよう、外陣を開放とする。

ご朱印

紀三井山 金剛宝寺護国院 ご朱印
紀三井山 金剛宝寺護国院 ご朱印
紀三井山 金剛宝寺護国院 ご朱印
紀三井山 金剛宝寺護国院 ご朱印

 

西國第二番
紀伊國 紀三井寺
御本尊十一面観世音菩薩

ふるさとを はるばるここに きみいでら はなのみやこも ちかくなるらん

開基 為光上人
建立 宝亀元年

和歌山県紀三井寺
救世観音宗 紀三井山 金剛宝寺護国院

護国院多宝塔(重要文化財)

護国院多宝塔(重要文化財)
護国院多宝塔(重要文化財)
護国院多宝塔(重要文化財)
護国院多宝塔(重要文化財)

この仏塔は本瓦葺の多宝塔で、室町時代中期の様式を示している。寺伝によれば、嘉吉元年(1441)にそれまであった仏塔が風害で倒壊し、宝徳元年(1449)に再建の勧請が行われているので、この時期に建てられたものと考えられる。
下層は柱間三間四方、柱は円柱で四方に逆蓮柱付高欄を廻らしている。中央には両向き唐戸を入れ、脇間には花頭窓を配している。内部は四本の柱(四天柱)(してんばしら)に来迎壁(らいごうかべ)を設け、その前面に唐様(からよう)の須弥壇(しゅみだん)を据えている。
上層は円柱十二本を円形に建て並べ、周囲は亀腹(かめばら)の上に縁を廻らせ、高欄をしつらえている。斗栱(ときょう)は四手先に尾垂木(おだるき)を入れる。軒は上下層ともに二軒繁垂木(にけんしげだるき)で、四隅には風鐸(ふうたく)を釣っている。
相輪(そうりん)は鋳鉄製で四隅に宝鎖を張り、風鐸を釣っている。

名草山頂上への入口?

最初に予定していた名草山への登山ですが、予想以上に時間を取られていたので、登るのを諦めました。またゆっくり行きたいと思います。
多宝塔の南側にあったこの石段が、登山道の入り口ではないかと思うのですが・・・。

謎の石段
謎の石段

開山堂

多宝塔の北側に開山堂があります。
かなり古い建物と思われますが、詳しくは不明です。

紀三井寺 開山堂
紀三井寺 開山堂

 

楊柳水

先に行き忘れたのですが、清浄水のあったところから道を南へ向かうと、三井水の一つである揚柳水があります。正直、境内の案内図が無いと見落としますわ。
落下防止なのか、蓋がしてあって中は見えません。
楊柳水へ向かう
楊柳水へ向かう
楊柳水
楊柳水
楊柳水
楊柳水
楊柳水
楊柳水

裏門

 裏門から紀三井寺の境内を出て、吉祥水に向かいます。
この脇から車が山内に上れるようになっていますので、足腰の悪い方も安心して参拝できます。
紀三井寺 裏門
紀三井寺 裏門
紀三井寺 裏門の彫刻
紀三井寺 裏門の彫刻

吉祥水

住宅の脇を入って行ったところにあります。
ぞろぞろと団体観光客が行くようなところではないと思ったのですが、どうなんでしょうね?
吉祥水
吉祥水
吉祥水 和歌山市指定文化財(名勝)
吉祥水 和歌山市指定文化財(名勝)
吉祥水 飲用する場合は煮沸して下さい。
吉祥水 飲用する場合は煮沸して下さい。
紀三井寺表坂中腹にある清浄水と、それより約百メートルの山腹にある揚柳水、そしてこの吉祥水の三つの井水は、名草山麓の古道に沿って古くから湧水して名水とされてきた。
吉祥水は、紀三井寺縁起によると、吉祥天女の内証よりわき出たものとされ、一切衆生の災難をのぞき、五穀豊かに、万姓を安楽にすると伝えられている。
昭和五十八年三月、地元の人々により、泉源、石垣、坂道など景勝地として整備された。

 

 
和歌山県和歌山市紀三井寺1201

第三番札所 風猛山 粉河寺

紀三井寺を後にし、昼食を取って、次の粉河寺へ向かいます。

昼食

紀三井寺駅の反対側の海の方へ向かい、135号線を右に折れてすぐに「海鮮問屋 丸長」さんがあって、こちらでお刺身定食を頂きました。

「海鮮問屋 丸長」 お刺身定食
「海鮮問屋 丸長」 お刺身定食

粉河寺へ移動

計画より少し早目の電車に乗りました。
紀三井寺発13:28 → 和歌山着13:35 (JR紀勢本線・和歌山行)
和歌山発13:55 → 粉河着14:26 (JR和歌山線・王寺行)

奈良の王寺まで行ってしまうという、実は怖い電車です。
ぽかぽか陽気で気持ち良くて、危うく寝過ごすところでした(笑)

JR和歌山線 105系
JR和歌山線 105系
粉河駅
粉河駅

粉河寺へは、駅前の道を真っ直ぐ行くだけなので、全く迷いようがないです!

粉河駅前
粉河駅前
紀の川市観光案内マップ
紀の川市観光案内マップ

大神宮

粉河寺の少し手前に、「大神宮」という神社があり、樹齢壱千年という御神木があって、パワースポットだということでした。

大神宮
大神宮
大神宮 お社
大神宮 お社
大神宮 御神木
大神宮 御神木
大神宮 御神木
大神宮 御神木

粉河寺大門(重要文化財)

粉河寺 大門
粉河寺 大門
粉河寺 大門
粉河寺 大門
粉河寺 大門 金剛力士像
粉河寺 大門 金剛力士像
粉河寺 大門 金剛力士像
粉河寺 大門 金剛力士像

大門は桁行12.48m梁間7.48m平面積93.38㎡を有する規模の大きい楼門で、建立は明らかでないが、各鬼瓦に宝永四年(1707)の刻銘が見られ、様式上、この頃の建立と考えられる。
上層の斗栱に雲肘木と尾垂木をつかって深い軒を支える構法など、当時の建築としては、他にあまり類のない手法を用いている。建立当時の形態もよく保たれており良質のケヤキ材を用いた雄大な江戸中期の建築として優れている。

粉河寺境内

案内図が分かりやすいです!

粉河寺案内図
粉河寺案内図

不動堂

粉河寺 不動堂
粉河寺 不動堂

子育地蔵

粉河寺 子育地蔵
粉河寺 子育地蔵

本坊

粉河寺 本坊
粉河寺 本坊

童男堂

粉河寺 童男堂
粉河寺 童男堂
粉河寺 童男堂
粉河寺 童男堂
本尊は、千手千眼観世音が御姿をかえられたといわれる童男大士を祀り、例年12月18日は、いわゆる「終り観音」の童男会がいとなまれる。
堂は棟札によって延宝七年(1679)の建立と考えられ、願主は当山の権大僧都法印円英、大工は徳屋甚左衛門と記されている。
童男堂は正堂と礼堂よりなり、桁行三間、梁間三間の正方形の建物の前面に桁行五間、梁間三間の礼堂を幅一幅の合の間を挟んで建てられている。
江戸時代の廟建築の形を模しており、正堂内陣の小壁、板壁部の障壁画、天井絵は華麗で優れた作風を示している。

 

仏足石

仏足石 案内
仏足石 案内
仏足石
仏足石
仏足石
仏足石

仏足石
お釈迦さんの足跡がきざまれている紋様は千輻輪相をあらわしその大きさは人徳の偉大さを象徴している。
うしろの碑は江戸時代の傑僧願海上人の筆である。
尚仏足石守は本堂にてお受け下さい。

出現池

出現池 案内
出現池 案内
出現池
出現池
出現池
出現池

出現池

本尊千手観音の化身 童男大士(童男行者ともいう)が柳の枝を手に白馬に乗ってこの池より出現したと伝えられる。

右  馬蹄石(窓のすぐ下)
正面 童男大士石像
左  三角堂(千手観音安置)

童男大士は現世利益の佛として殊に病気平癒の霊験あらたかにして、祈願成就すれば、この池に鯉の放生をする風習がある。

童の清き姿をあらわしし 御池の水のいく世すむらん

中御門権大納言宣顕

念仏堂

念仏堂 案内
念仏堂 案内
念仏堂
念仏堂

光明殿ともいう。阿弥陀如来を安置す。江戸時代後期の建造物総欅造り

阿弥陀如来坐像(露座仏)

阿弥陀如来坐像 案内
阿弥陀如来坐像 案内
阿弥陀如来坐像
阿弥陀如来坐像

市指定文化財
美術工芸品 粉河寺阿弥陀如来坐像(露座仏)
文久二年(1862) 鐫字(せんじ)
総長210cm 像長144cm

粉河鋳物の中で数少ない鋳銅仏像として貴重な作品である。その容姿は均整のとれた円満なお顔立ちで来迎仏にふさわしい大作である。
粉河鋳物師として有名な増井盛信が鐫字(文字の刻印)したもので、紀州八藩主徳川重倫公や妹君、公安院の御生母、清信院によって寄進された。
千日回峯行成し遂げた幕末の粉河寺山主願海が銘文を寄せた。銘文は両肩の背面と右膝側面にきざまれ梵字が多い。

市指定文化財
庭園 粉河寺御池坊庭園(非公開)
時代 江戸初期 池泉観賞式庭園
作者 不詳

山麓を巧みに利用し、築山としてその山裾から湧出する泉が渓流にそそぎ、滝となって池に落下する、池には自然石の石を架している。
本庭園は、うっそうとした樹林をとりいれた自然美の格調高い名園である。

盥漱盤(かんそうばん)(荷葉鉢)

盥漱盤 案内
盥漱盤 案内
盥漱盤
盥漱盤
市指定文化財
工芸品 盥漱盤(荷葉鉢)
安永四年(1775)粉河鋳物師蜂谷薩摩掾五代目源正勝の作
総高 240cm 巾185cm
かつて江戸時代に全国に知られた粉河鋳物の代表的作品
技術的にもすぐれ、以後二百余年、働きつづけている。
“軽くまふ盥漱盤の 一葉舟” 狙岡(そこう)

 

中門(重要文化財)

天保三年(1832)建立
四天王を安置す 「風猛山」の扁額は紀州十代藩主 治宝(はるとみ)侯の直筆

粉河寺 中門 案内
粉河寺 中門 案内
粉河寺 中門を望む
粉河寺 中門を望む
粉河寺 中門
粉河寺 中門
粉河寺 中門
粉河寺 中門
粉河寺 中門 四天王像
粉河寺 中門 四天王像
粉河寺 中門 四天王像
粉河寺 中門 四天王像
粉河寺 中門 四天王像
粉河寺 中門 四天王像
粉河寺 中門 四天王像
粉河寺 中門 四天王像

本堂(重要文化財)

粉河寺 本堂
粉河寺 本堂
粉河寺 本堂
粉河寺 本堂
粉河寺 本堂
粉河寺 本堂
粉河寺 本堂
粉河寺 本堂
粉河寺 本堂
粉河寺 本堂
粉河寺 本堂 案内
粉河寺 本堂 案内

重要文化財
建造物 粉河寺本堂
奈良時代宝亀元年(770)の創建で現在のものは享保五年(1720)に再建された江戸時代中期の寺院建築の代表的建造物であり、西国第三番札所である。西国札所の中では最も大きいといわれ内陣の厨子の内深くに秘仏の本尊千手千眼観世音菩薩が祀られている。
本尊の両側には侍者として28部衆、内陣の背面には裏観音、東には鬼子母神、西に不動明王、大日如来、閻魔大王、その他諸仏が祀られている。
本堂の規模は外陣及び中陣は間口(33.03m)奥行(12.12m)内陣脇陣、後陣は間口(23.93m)奥行(13.03m)向拝は間口(11.81m)奥行(4.15m)を有している。

ご朱印

粉河寺 ご朱印
粉河寺 ご朱印
粉河寺 ご朱印
粉河寺 ご朱印

西國第三番
紀伊國 粉河寺
御本尊千手千眼観世音菩薩

ちちははの めぐみもふかき こかわでら ほとけのちかい たのもしのみや

開基 大伴孔子古
建立 宝亀元年

和歌山県紀の川市粉河
粉河観音宗 風猛山 粉河寺

丈六堂

粉河寺 丈六堂 案内
粉河寺 丈六堂 案内
粉河寺 丈六堂
粉河寺 丈六堂
粉河寺 丈六堂 阿弥陀如来像
粉河寺 丈六堂 阿弥陀如来像

文化三年(1806)の再建
丈六(一丈六尺の略)阿弥陀如来を安置。
昭和五十七年(1982)解体修理

粉河寺庭園(国指定名勝)

粉河寺庭園 案内
粉河寺庭園 案内
粉河寺庭園
粉河寺庭園

国指定名勝
粉河寺庭園
桃山時代の石庭

崖地をたくみに利用してつくられ
枯山水観賞式庭園と呼ばれる
本堂と庭園との調和はみごとである

鐘楼

粉河寺 鐘楼
粉河寺 鐘楼

六角堂

享保五年(1720)建立
平成七年(1995)解体修理
西国三十三観音を安置す

粉河寺 六角堂 案内
粉河寺 六角堂 案内
粉河寺 六角堂
粉河寺 六角堂

薬師堂

薬師如来安置
眼病を初め諸病平癒祈願の仏である

粉河寺 薬師堂
粉河寺 薬師堂
粉河寺 薬師堂
粉河寺 薬師堂

粉河産土神社

粉河産土神社 案内図
粉河産土神社 案内図
粉河産土神社 拝殿
粉河産土神社 拝殿

市指定文化財

建造物 粉河産土神社(本殿二棟、天福社一棟)

この神社は旧粉河村の総鎮守であると同時に粉河寺内の鎮守である。祭神は丹生都姫命(にうつひめのみこと)・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)である。
本殿二棟は同寸法・同形式で並列し、現社殿はその様式から江戸中頃に建てられたと思われる。一間社隅木入の春日造としては、規模も大きい方である。天福社は、祭神は天降(てんぶり)大明神で擬宝珠(ぎほうしゅ)銘に享保十二年(1727)とあり、様式からみてもこの頃に建てられたと思われる。
 
和歌山県紀の川市 粉河2787

帰路

帰路の楽しみの一つは、一杯飲んで帰る事です!
友人と久しぶりに一緒でしたし、梅田の行きつけのBARで飲んで帰ることにしました。

粉河発16:34 → 和歌山着17:05 (JR和歌山線・和歌山行)
和歌山発17:10 → 大阪着18:43 (JR紀州路快速・京橋行)

和歌山線 105系
和歌山線 105系

行きつけのBAR
セブンシーズ

セブンシーズ(Seven Seas)
電話番号:06-6312-4594
住所:大阪府大阪市北区角田町9-20 新梅田食道街内
営業時間:1F 16:30~23:00 2F 18:00~23:00
定休日:日曜日(祝日不定休の場合あり)


 

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