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第三十一番札所 姨綺耶山 長命寺(Chomeiji)
2016年10月11日の記事(改訂版)
続きです。
次は、第三十一番札所 姨綺耶山 長命寺(Chomeiji) へ参ります。
近江八幡に到着したら、すぐさま長命寺行きのバスに乗りかえます。
迷わなかったので、予定より30分前に出るバスに乗り込めました。
近江八幡駅/近江鉄道バス湖国バス13:45 → 長命寺/近江鉄道バス湖国バス14:10 490円(往復980円)
ここで降りたのは私だけでした・・・。
参道
バスを降りるとすぐ前に参道があり、参道を入った左手には日吉神社があります。
日吉神社
鎮座地 近江八幡市長命寺町103番地
主祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)
大年神の御子、近江の国比叡の山を主宰し給う神なり。
境内社 行司神社 祭神 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
厨子之宮 祭神 豊受姫神(とようけひめのかみ)
境外社 厳島神社 祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
金刀比羅神社 祭神 大物主命(おおものぬしみこと)
津島神社 祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
山之神 祭神 大山津見命(おおやまつみのみこと)
由緒
創祀された年代は不詳であるが、建長五年(1253)六月長命寺文書に「濱十禪師に五節供燈明等神役不可被懈怠云々」とあり、その以前より当神社が鎮座していたことを知ることができる。
承和三年(836)野洲郡仁保郷 僧 頼智が長命寺を再興せし時より比叡山延暦寺西塔院領となりし事から延暦寺と坂本の日吉大社の如く長命寺と当神社とは古くより密接なるものがあったものと推察される。
参道の右手には、聖徳太子の開基と伝わる塔頭寺院の穀屋寺があります。
上まで808段あるという長い石段の前に立つと、大丈夫かなぁと不安になります。
バスを降りてわかりますが、周りに殆ど人の気配がしません。
お土産屋さんの前で、サバシロの猫にゃんを見かけたくらいです。
石段を登ってゆきますと、途中にはいくつか塔頭寺院が見られます。
入口近くには宿院の妙覚院があります。
建物の写真を取り損ねましたが、宿坊の真静院があります。
長命寺 真静院の由来
当時は、往古の祖師年月支干等詳ならずと雖も長命寺一山中の一寺にて三十三代推古天皇の御代聖徳太子御臨幸の時、本堂を始め坊舎を御建立承和三年(836)頼智法橋檀越を勧進し堂宇再興、元暦元年(1184)七月佐々木贈近江権守源秀義平家と大原荘に戦い七十三才を以って戦死す。右大将源頼朝公其の忠義を感じ其の嫡子武衛校尉定綱に秀義冥福菩提のために四十余ヶ所の坊舎を再興、永正十三年(1516)戦国以来軍事行動の開始さるるや武将は長命寺に陣取放火等禁制を寄せしこと屡々なりしが、永正十三年八月佐々木の重臣伊庭氏乱をなし九里氏と合して佐々木高頼に抗す。同月下旬其の兵燹に罹り始め兵火は寺内の坊舎に起り終に本堂に延焼し一山堂塔悉く灰燼す。住僧寺再興を企て翌十四年勧進に着手しし示来六年を経て大永二年(1522)八月諸堂坊舎を再興真静坊證尊を時の一老とす。星霜を経るに随い荒廃したるも嘉永年間(1848~1853)に春柳により企図し智賢に於て完成今日に及ぶ。
本尊不動明王は文化財である。
禅林院跡
石段を九割方登ったところの左手に山上駐車場があり、車で来られる方はここまで登って来れます。
観光バスは居ませんでしたが、車が結構停まっていました。
トイレもあるので、ここまで我慢しましょう(笑)
長命寺の門が見えてきました。
ここまで来ればあと一息です。
私の足でここまで約25分くらいでした。
手水舎
丁度この辺りで、参拝を終えられた白装束を着られたおじいちゃん、おばあちゃんと行き交いまして、汗びっしょりになって石段を登ってきた私をめちゃくちゃ褒めてくれました。
そういった簡単な気持ちのやり取りが非常に嬉しく感じます。
ようやく本堂が見えてきました!
拝観料が無料なので、何かパンフレットの類を頂けるわけではないようです。
境内の案内図が見当たらず、独自のホームページもありませんね。
境内は割と広めなので、色々と探検気分で歩けますが、見落としもあるかもしれません。
本堂
重要文化財
長命寺本堂
本堂は永正十三年(1516)の消失後、大永二年(1522)から大永四年(1524)にかけて再建されたことが勧進帳に記されており、寺内で現存する最古の建築である。昭和五年(1930)から昭和七年(1932)にかけて解体修理が行われた。
桁行七間、梁間六間(正面20.41m、側面20.50m)、一重、入母屋造、檜皮葺の大建築で、当初は、正面の全て、東面の正面から一間、西面の正面から三間を吹放しとし、扉や壁面を造っていなかった。外陣内部は柱が並び、荘厳である。奥の内陣には須弥壇が築かれ、真中に再建当初からの厨子(重要文化財である本堂の附(つけたり))があり、千手観音立像を中心に左側に聖観音立像、右側に十一面観音立像(すべて重要文化財)が安置されている。
本堂は、中世の和様仏堂の好典型としても貴重な遺構であり、無駄な装飾を用いない、格調の高い建築である。
ご朱印
西國第三十一番
近江國 長命寺
御本尊千手十一面聖観音三尊一体
やちとせや やなぎにながき いのちでら はこぶあゆみの かざしなるらん
開基 聖徳太子
建立 景行天皇二十年
滋賀県近江八幡市長命寺町
単立 姨綺耶山 長命寺
三仏堂
滋賀県指定有形文化財
長命寺三仏堂
三仏堂は元暦元年(1184)佐々木秀義の菩提を弔うため、その子定綱が造立したと伝え、釈迦・弥陀・薬師の三尊を祀る。
この仏堂は永正十三年(1516)の消失後に再建されており、渡廊下で結ばれた護法権現社拝殿と同時期の永禄頃の建立とみられる。
桁行五間、梁間四間の入母屋造、檜皮葺で、側周りは円柱に舟肘木(ふなひじき)のせた簡単な造りであるが、内部は木鼻(きばな)・実肘木(さねひじき)を入れた三斗(みつど)を組む。軒は二軒疎垂木(ふたのきまばらたるき)で、背面では一軒(ひとのき)としている。
内陣周りは寛政五年(1793)に改造を受けているが、その他には当初の部材が良く残り、県下でも数少ない持仏堂形式の貴重な遺構である。
護法権現社拝殿及び渡廊下
滋賀県指定有形文化財
長命寺護法権現社拝殿及び渡廊下
護法権現社は長命寺の護法神として開山武内宿禰を祀り、本殿は江戸時代後期の再建とみられる。
拝殿は小屋貫(こやぬき)に永禄八年(1565)の墨書銘があったといわれており、形式技法からみてもその頃の建立と考えられる。桁行三間、梁間二間の入母屋造、檜皮葺で、切目縁を四周に巡らし、角柱に舟肘木をのせ、二軒の疎垂木とした簡素な造りである。
三仏堂へ続く渡廊下は、拝殿と同時期の建築とみられ、造りも同様に簡素である。三仏堂側につけられた唐破風(からはふ)及び蟇股(かえるまた)、兎毛通(うのけどおし)の意匠が優れ、時代の特徴をよく示している。
鐘楼
重要文化財
長命寺鐘楼
鐘楼は慶長十三年(1608)に再建されたことが、上棟(じょうとう)用木槌(きづち)に墨書されている。昭和四十九年(1974)に部分修理が行われた。
入母屋造、檜皮葺で一見したところ普通の袴腰(はかまごし)(下方が広がって城の天守台の様な形の部分)付の鐘楼だが、柱の配置が少し違っており、下層は(二間二間(各面3.33m)であるが、上層は南北面二間、東面二間、西面のみ三間(3.03m)である。これは、撞木(しゅもく)を吊る関係で三間にしたと考えられ、興味ある方式である。一重、二重ともに三手先組物(みてさきくみもの)を備える本格的な建築で、概ね和様を基調としているが、妻飾(つまかざ)や懸魚(けぎょ)の形は禅宗様を取り入れている。
他の諸堂と共に重要な伽藍の一つで、寺観を整えるのに大いに役立っている。
なお、内部の梵鐘は鎌倉時代に遡る古鐘で、県指定有形文化財となっている。
修多羅岩(すだらいわ)
修多羅とは、仏教用語で天地開闢、天下太平、子孫繁栄を言う。
封じて当山開闢長寿大臣、武内宿禰大将軍の御神体とする。
太郎坊権現祠
由緒
天分年中當山ニ普門坊ト云ウ異僧有リ佛法護持ノタメ魔王ノ形ヲ現ス之ガタメニ祠ヲ建テ太郎坊権現ヲ勧請ス 委シキハ本縁起ニ譲リ 京都愛宕山ヨリノ飛来石及爪堀手水鉢ハ本殿の傍ニアリ
眺望はなかなかのものです。
元に戻ってゆきます。
閼伽井堂(あかいどう)
由緒
千手観世音ヲ安置ス 往古天智天皇御臨幸ノ時 揚柳ノ感応ヲ得給ヒシ舊跡ニシテ 参詣人諸彦一心ニ唱名念佛セバ 水泡浮ミ出ス故ニ俗ニ念仏井堂トモ稱ス
三重塔
重要文化財
長命寺三重塔
三重塔は元応二年(1320)に竣功の式が執り行われ、佐々木時信がこれを祝して馬一疋を奉加した。
永正十三年(1516)の消失後、天正十七年(1589)から慶長二年(1597)にかけて再建されたことが、昭和三十九年(1964)の解体修理により判明している。
三間三重塔婆、杮葺で、各重とも高欄付の縁を廻し(初重四隅のみ擬宝珠付)、外部は総丹塗である。高さは24.35mで、県内に現存する三重塔七基の内、二番目の高さを誇る。初重内部は四天柱でない外陣に分けられ、四天柱一杯に須弥壇が築かれており、本尊の大日如来坐像、四天王立像(全て市指定文化財)が安置されている。
塔全体で余裕ある形態を持ち、比較的遺構の少ない桃山時代の塔として貴重な遺構である。
護摩堂
重要文化財
長命寺護摩堂
護摩堂は本尊不動明王、古来、天下泰平宝祚延長長寿開運諸願成就を護摩祈祷する道場であり、慶長十一年(1606)に三重塔に続いて再建されたことが、露盤に銘打たれている。再建後まもなくの屋根葺替えで二重軒付に変更されたが、昭和四十九年(1974)の半解体修理で一重軒付に復原された。
桁行三間、梁間三間(4.863m)の宝形造、檜皮葺、丹塗の建築で、内部は北面中央の側柱前に角柱二本を立て、その中に仏壇を設けている。なお、寛政五年(1793)にこの仏壇上に檀(漆塗り)を重ねてその上に作り付けの厨子(塗装なし)を新造している。
三間四方の正面中央は桟唐戸、正面左右は連子窓で、側面中央は板扉または板戸、側面前方は連子窓で、他は板壁という簡素な作りである。また、柱は全て角柱で、得様大斗肘木(えようだいとひじき)に軒先は疎垂木木舞打(まだらたるきこまいうち)という軽やかな姿である。
下山
帰りも808段の石段を下るわけですが、割とすんなり行けました。
整備されているので上り下りがしやすいんですね。
管理をされている方の御苦労がしのばれます。
参拝が終わったのが15時過ぎ。
帰りのバスの時間が迫っているので、頑張って下りました。
長命寺/近江鉄道バス湖国バス15:25 → 近江八幡駅/近江鉄道バス湖国バス15:50
この日は近江八幡で宿泊です。
駅近くの「近江八幡ステーションホテル」に泊まりました。
近くにイオンがあるので、買い物などには困りません。
まだ早い時間でしたし、夕飯を食べて映画でも観に行こうかと思いましたが、翌日は荒天が予想されており、早めに休むことにしました。
次の観音正寺編に続きます!
ここまでお読み頂きまして、ありがとうございます。
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