【西国三十三所巡り】 西国番外札所 法起院 (Houkiin)、第八番札所 豊山 長谷寺(Hasedera)、大野寺(Onoji)、室生寺(Murouji) 参拝記


第八番札所 豊山 長谷寺

2016年4月18日の記事(改訂版)

色々あって、更新が遅くなってしまいました。

4月11日、寒の戻りで非常に寒い一日になりましたが、早く起きて行ってきました。
帰ってから風邪気味になり、もう少し厚着して行けば良かったと後悔しています。
翌日12日は造幣局の桜の通り抜けに行って、合わせて東京に転勤になる友人の壮行会を催し、さすがに風邪と疲労と筋肉痛が襲ってきて暫くヘタっていたら、14日に熊本地震が発生しました。

この度の熊本地震により亡くなられた方々、ご家族の皆様に哀悼の意を表しますと共に、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
副理事長のご両親の里が熊本の震源に近い所にあり、ご親戚の方が被災されたそうです。
私どもとしても何らかの支援活動が出来ればと思いますが、今はライフラインが正常でない時期ですので、行っても邪魔になるだけです。これについては別途取り上げたいと思います。


往路

参拝時間を少しでも多く作りたかったので、予定よりも早めに家を出ました。

園田発6:46 → 梅田(阪急線)着6:56 (阪急神戸本線・梅田行)
大阪発7:05 → 鶴橋着7:21 (JR大阪環状線外回り・京橋・鶴橋方面)
鶴橋発7:24 → 長谷寺着8:33 (近鉄大阪線準急・榛原行)


長谷寺駅周辺

8:36
とにかく、電車を降りたら震えるほど寒くて、駅の自販機で温かいコーヒー買いましたわ!!

長谷寺駅
長谷寺駅
總本山長谷寺
總本山長谷寺
長谷寺 案内図
長谷寺 案内図
長谷寺駅
長谷寺駅

花の御寺 西国三十三所観音霊場第八番

長谷寺

ようこそ長谷寺へ
長谷寺は山号を豊山(ぶさん)と称し、西国三十三所観音霊場の第八番札所、真言宗豊山派の総本山です。
この地は古代より「こもりくの泊瀬(はつせ)」と呼ばれ、周囲を山々に囲まれた聖地であり、道明(どうみょう)上人と徳道(とくどう)上人によって長谷寺が開かれました。以来、観音信仰の根本霊場として多くの参詣を集めいています。
また、「花の御寺(みてら)」と呼ばれるように桜・牡丹・紫陽花・紅葉など四季折々の風情を楽しむことができます。

豊山神楽院長谷寺
開創 朱鳥元年(686) 道明上人
開基 神亀四年(727) 徳道上人
本堂 慶安三年(1650) 再建 国宝
本尊 十一面観音菩薩 像高 1018.0cm 重要文化財

入山時間、納経時間
・3月1日~3月31日 9時00分~17時00分
・4月1日~9月30日 8時30分~17時00分
・10月1日~11月30日 9時00分~17時00分
・12月1日~2月末日 9時00分~16時30分


長谷山口座神社

御祭神:大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)、天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)
合祀:豊受姫命(とようけのひめのみこと)

8:47
長谷寺への参道へ入り、初瀬川にかかる朱塗りの橋があり、鳥居が立っています。
鳥居の傍らには、「元伊勢 磯城伊豆加志(厳橿)本宮伝承地域」と書かれた石碑がありました。

長谷山口座神社
長谷山口座神社
元伊勢 磯城伊豆加志(厳橿)本宮伝承地域
元伊勢 磯城伊豆加志(厳橿)本宮伝承地域
長谷山口神社由緒記
長谷山口神社由緒記

長谷山口神社由緒記

当神社は長谷寺の鎮(しずめ)の神として、太古より大山祇(おおやまつみ)の神を祭神としている。第十一代垂仁天皇の御代倭姫(やまとひめ)の命を御杖としてこの地域の「磯城嚴橿(しきいつかし)の本(もと)」に約八ヶ年天照大神をおまつりになった時、随神としてこの地に天手力雄(あめのたぢからお)の神、北の山の中腹に豊秋津姫(とよあきつひめ)の神をまつる二社を鎮座せられた。
長谷寺縁起やその他の古文によると、この地方は三神(みかみ)の里、川は神河、この付近の縁は神河浦と書かれている。第四十五代聖武天皇の天平二年(730)大和大税帳には、長谷山口神社の名が見られる。延喜式内社(えんぎしきないしゃ)である。近世になり明治四十二年初瀬平田にあった豊受神社の豊受姫の神を合祀されている。
当神社は由緒は深く、五穀豊穣、商売繁昌の神としてうやまはれ、国や家々の安泰と繁栄を祈願し氏子里人の守り神として、あまねく人々の敬い奉るところである。

長谷山口座神社 鳥居
長谷山口座神社 鳥居
水神
水神

石段を登って境内に上がると、中央に拝殿があり、拝殿の奥に本殿が見えます。

石段が良い感じ
石段が良い感じ
長谷山口座神社 拝殿
長谷山口座神社 拝殿
長谷山口座神社 拝殿
長谷山口座神社 拝殿
長谷山口座神社 略縁起
長谷山口座神社 略縁起
長谷山口座神社 本殿
長谷山口座神社 本殿

白髪神社

御祭神:猿田毘古命(さるたひこのみこと)、天宇豆賣命(あめのうずめのみこと)

9:05
法起院の向かいにある、割と急な石段を登った先にありました。

紅梅 桜井市指定天然記念物
紅梅 桜井市指定天然記念物
紅梅 桜井市指定天然記念物
紅梅 桜井市指定天然記念物
與喜天満神社切石御旅所御由緒
與喜天満神社切石御旅所御由緒
與喜天満神社切石御旅所
與喜天満神社切石御旅所
白髪神社 鳥居と参道の石段
白髪神社 鳥居と参道の石段
白髪神社 鳥居
白髪神社 鳥居
白髪神社 参道の石段
白髪神社 参道の石段
霊符神社
霊符神社
山神
山神
白髪神社
白髪神社
白髪神社 社殿
白髪神社 社殿


西国三十三所 番外札所 法起院 (Houkiin)

今回の旅の目的の一つです。

9:13
西国三十三所の開基、徳道上人の御廟所です。
専用のご朱印帳には法起院のご朱印を頂く箇所が無かったのですが、ご住職が「朱印帳の後ろの空白ページが使えますよ」とお教え下さったので、そちらに書いて頂きました。
多分「開山堂」と書かれていると思います(^^;

西国三十三所番外札所 法起院
西国三十三所番外札所 法起院
法起院参道
法起院参道
西国巡礼開基 長谷寺開山 徳道上人御廟所 法起院
西国巡礼開基 長谷寺開山 徳道上人御廟所 法起院

西国巡礼開基
徳道上人霊廟

番外札所
法起院

開基徳道上人、天平七年建立播磨国揖保郡矢田部郷に生まれた上人は、二十才で初瀬の道明上人について、佛道を研修し、やがて道明上人と共に長谷寺の開基となる。上人は、この世の寿命を終り、あの世へ赴いたのであったが、閻魔大王から西国三十三所巡拝の功徳を語られ、再び娑婆へ戻り、民衆に霊場巡拝を勧めよとて、観音有縁の地三十三所を示され、あの世から廻帰されたと思うと、死後七日の上人が元の身に蘇り今日の札所を開くに至った。
晩年この地に隠棲し、一宇を営み法起院と称す。
本尊は、御自作の徳道上人で、上人は云わば観音巡礼の元祖である。又、当院は長谷寺の塔頭であり、開山堂である。

徳道上人の御詠歌
ごくらくは よそにはあらじ わがこころ
おなじはちすの へだてやはある

法起院境内案内図
法起院境内案内図
法起院本堂
法起院本堂
弁財天堂
弁財天堂
馬頭観世音菩薩
馬頭観世音菩薩
末広稲荷
末広稲荷
天竺招来「仏足石」
天竺招来「仏足石」
地蔵尊
地蔵尊
庚申堂
庚申堂
徳道上人「沓脱の石」
徳道上人「沓脱の石」
徳道上人「沓脱の石」
徳道上人「沓脱の石」
徳道上人御廟
徳道上人御廟
徳道上人御廟
徳道上人御廟
はがきの木
はがきの木
はがきの木
はがきの木
十三重石塔
十三重石塔

 

霊を呼ぶ木 招霊木(おがたまのき)
霊を呼ぶ木 招霊木(おがたまのき)
長谷寺開山徳道上人廟塔
長谷寺開山徳道上人廟塔
法起院 ご朱印
法起院 ご朱印

與喜天満神社 (Yokitenman-Shrine)

主祭神:菅原道真(すがわらのみちざね)公
御祭神:天照大神(あまてらすおおみかみ)、大倉姫神(おくらひめのかみ)(延喜式式内社・鍋倉神社)

9:28
法起院を出て右に行ったらすぐに、鳥居と橋が見え、奥に長い登りの参道が見えます。
国の天然記念物になっているという與喜山があり、その中腹に菅原道真を主祭神とする與喜天満神社があります。
境内に天照大神が最初に降臨された場所「磐座」があり、なにやら有名なパワースポットのようです。

残念ながら、境内の授与所は開いていませんでしたので、ご朱印は頂けませんでした・・・。

與喜天満神社 参道入り口
與喜天満神社 参道入り口
與喜天満神社 参道
與喜天満神社 参道
桜井市指定文化財 與喜天満宮
桜井市指定文化財 與喜天満宮

桜井市指定文化財

與喜天満宮

本殿一棟附棟札 一枚
天神坐像(主神) 一躯
木造天神坐像 一躯
木造神像 六躯
鉄湯釜 一個

初瀬川
初瀬川
長谷寺の門前町
長谷寺の門前町
與喜天満神社 鳥居
與喜天満神社 鳥居
與喜天神宮
與喜天神宮
泊瀬稲荷社
泊瀬稲荷社

泊瀬稲荷社

御祭神 御饌津神(みけつかみ)
御神徳 五穀豊穣
商売繁盛
家内安全

泊瀬稲荷社
泊瀬稲荷社
與喜寺跡
與喜寺跡
與喜天満神社 参道の石段
與喜天満神社 参道の石段
與喜天満神社・末社 八王子社と山神遥拝所のご由緒
與喜天満神社・末社 八王子社と山神遥拝所のご由緒

與喜天満神社・末社
八王子社と山神遥拝所のご由緒

川向こうの岩盤の上に鎮座する八王子社は、天照大神と素戔嗚尊との誓託によって、お生まれになった八柱の神を祭る神社です。
またのこ磐座は、八王子社と当山の山神を参拝する場所です。
この上、與喜山(国の天然記念物)中腹に鎮座する與喜天満神社は、長谷寺の鎮守・地主の神様です。長谷寺に参詣された方は、当神社へもお参り下さい。神社へ登られない方は、ここからご参拝下さい。
與喜天満神社は、わが国最古の天満宮(ご祭神・菅原道真公)で、「吉のお宮」とも言われています。またこの神山に、初めて天上から天照大神が降臨された聖地としても知られています。
<八王子社のご神徳>
〇家内安全 〇家族繁栄 〇女性守護 〇所願成就 など。

與喜天満神社・末社 八王子社と山神遥拝所
與喜天満神社・末社 八王子社と山神遥拝所
與喜天満神社・末社 八王子社と山神遥拝所
與喜天満神社・末社 八王子社と山神遥拝所
與喜天満神社 手水舎
與喜天満神社 手水舎

手水舎

この手水舎は、慶安三年(1650)九月吉日、徳川三代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)より長谷寺本堂の大改修の時に寄進される。
本居宣長(もとおりのりなが)四十三歳の時(安永元年(1772)三月)、大和路観光に出かけ紀行文「菅笠日記」によれば、「よきの天神と申す御社のまへに、くだりつきて」と、当社へ参拝された折この手水で心身をお浄めになられました。又、本居宣長が最も尊敬していた俳人「松尾芭蕉(まつおばしょう)」も当社参拝の折この手水鉢で心身を浄められました。参拝者の皆様方も昔を偲んで、この手水鉢で心身をお浄めください。

與喜天満神社 手水舎
與喜天満神社 手水舎
パワースポットのご案内
パワースポットのご案内

パワースポットのご案内

神奈備山「与喜山」(国指定天然記念物)は千古以来斧を入れずの御神体山で大和の国の黎明期から最初に太陽が昇る山として古代より崇められたこの中腹に與喜天満神社はあり神社を含めて山全体がパワースポットとして有名です。
雄略天皇(大泊瀬幼武尊)の国讃めの歌(日本書紀七十七)に
陰国の 泊瀬の山は 出で立ちの よろしき山 走り出の よろしき山の 陰国の 泊瀬の山は あやにうら麗し あやにうら麗し
又 現在当山は与喜山と言われていますが古く大泊瀬山・陰国長谷寺と言われ古記には因曼荼羅峯とも言われ十一面観音を彫った山でもあります。

與喜天満神社 案内
與喜天満神社 案内

真言宗豊山派総本山
長谷寺鎮守聖廟
日本最古の天神信仰
天照大神初降臨の地
初瀬地域総地主神
吉のお宮
◎櫻葉社 音楽全般の上達の守護神
芸能界関係成功祈願
(要注意)最近、若い女の子の参拝が増え、人気グループ嵐のメンバーの守護神にもなっています。
◎白太夫社 子授け・安産
◎八王子社 家内安全と発展・所願成就

與喜天満神社 社殿
與喜天満神社 社殿
「撫で丑」の由来
「撫で丑」の由来

「撫で丑」の由来
與喜天満神社は 日本最古の天満神社です 昌泰元年(898)長谷寺参りされ その時 当社を 伊勢神宮と称し 鳥居まで建立され 日本で最初に 天照大神が 当社の磐石に 降臨されたと言う書き物を遺されています それ以来 陰國の初瀬の郷内では道真公にたいしての敬神の念が拡がり それから五十数年後(天慶九年(946))長谷寺地主神として この與喜地に習合なされ 御鎮座なされました
当社御祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)公は 承和十二年六月二十五日(845年8月1日)乙丑生まれです 牛年生まれで 醍醐天皇の御代に左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)に讒訴され 大宰府に権の帥として左遷される道中 牛に助けられ それからは 以前にも増して牛を大変可愛がられたことから 牛との係わりが大変深い理由です
しっかり撫でて頂き 御祈願下さい

「撫で丑」
「撫で丑」
鎮守聖廟 與喜天満神社のご由緒
鎮守聖廟 與喜天満神社のご由緒

”吉のお宮” 本殿・桜井市指定文化財
鎮守聖廟 與喜天満神社のご由緒
〇ご祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)公
天慶九年(946)九月十八日の明け方、初瀬の里に住む修行者・神殿太夫武麿は夢の中に翁を見た。二日後の日没頃、武麿の家の前の石の上(切石御旅所の地)に、夢に見た老人が座っていた。やがて翁は長谷寺へ登り、十一面観音、瀧蔵権現三社を詣でた時、急に黒雲が湧いて来て翁を覆い、見る間に老人は束帯姿となって「私は右大臣正二位菅原道真である云々」と名乗った。これに瀧蔵権現が答えて、「この山は良き地である。その大松に住み給え」と告げられた。すると翁はにわかに雷神となり、この山に鎮座されたのである。天暦二年(948)七月に社殿を建立し、良き地を以て與喜大明神と名づけた。九月二十日には、氏神と申し上げた。これが当社の創祀である。
当社は、わが国最古の天満宮で、長谷寺の鎮守・地主の神である。またこの神山は、はじめて天上から天照大神が降臨された聖地(磐座・鵝形石が鎮座)としても知られている。
<大祭>毎年十月第三日曜日「初瀬祭り」とも呼ばれ、神輿・太鼓台の巡幸で賑わう。本来は旧暦九月二十日(神の顕現された日)に斎行された。
<ご神徳>〇入試合格・学業成就 〇大吉福運招来 〇女性守護 〇縁結び等

與喜天満神社 社殿
與喜天満神社 社殿
與喜天満神社 狛犬
與喜天満神社 狛犬
與喜天満神社 狛犬
與喜天満神社 狛犬
磐座「鵝形石」(ご斎神・天照大神)ご由緒
磐座「鵝形石」(ご斎神・天照大神)ご由緒

”伊勢神宮信仰の原点”
磐座「鵝形石(がぎょういし)」(ご斎神・天照大神)ご由緒

菅原道真公を祭る與喜天満神社は、平安時代に創建され、当山の鎮守・地主の神様ですが、古代、この地は天照大神が天上から初めてこの世に降臨された聖地と伝えられています。
そもそもこの與喜山は、古代は大泊瀬山と呼ばれ、大和の国に最初に太陽の昇ってくる聖なる山でありました。伊勢神宮の信仰は、この初瀬の地が地理的にも出発点なのです。
天武天皇は(673年)四月、伊勢に出発する斎王・大来皇女(おおくのひめみこ)の潔斎のための施設を設けました。これが「日本書紀」に記された「泊瀬斎宮」です。この斎宮も與喜山にあったと考えられています。
原初より女性は太陽であり、神として敬われます。女性の皆様の守護神として心をこめてご参拝下さい。
<ご神徳>
〇入試合格・学業成就 〇大吉福運招来 〇女性守護 〇縁結び良縁等御祈願下さい。

磐座「鵝形石」
磐座「鵝形石」
磐座・「掌石」と「沓形石」のご由緒
磐座・「掌石」と「沓形石」のご由緒

磐座(いわくら)・「掌石(たなごころいし)」と「沓形石(くつがたいし)」のご由緒
古代は聖なる山に鎮座する磐座に、神を迎えてお祭りをしました。当社の磐座は、その形態を現在も残す、貴重な信仰上の遺産でもあります。私たちはこの磐座に祈りを捧げ、古代さながらの神体験ができるのです。
右上段の磐座・「掌石」(斎神・太玉命(ふとたまのみこと))は、手のひらのような形をしているので、その名が付きました。また左下段の「沓形石」(斎神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、神官が履く沓のような形をしているので、その名が付きました。
手前の鵝形石(がぎょういし)(斎神・天照大神)は、鵞鳥(がちょう)のような形をしているので、その名が付きました。この三つの磐座で、「古事記」神話に記されている「天岩戸(あまのいわと)」の段を再現していると考えられています。

どうぞ、古代から息づく神の霊気をいただいて、所願の成就をご祈願下さい。

磐座・「掌石」と「沓形石」
磐座・「掌石」と「沓形石」
延喜式・式内社「鍋倉神社」のご由緒
延喜式・式内社「鍋倉神社」のご由緒

延喜式(えんぎしき)・式内社(しきないしゃ)「鍋倉神社(なべくらじんじゃ)」のご由緒
この二基の石灯籠は、鍋倉神社(ご祭神・下照姫(したてるひめ))に捧げられたもので、與喜山中に座す磐座を遥拝する場所です。
鍋倉神社は「延喜式(延長五年(927)成立)の「神名帳(じんみょうちょう)」に所載する古社で、伴信友(ばん のぶとも)の「神名帳考証」に、
初瀬ノ與喜天神ノ上ノ山ニアリ、今モ鍋倉明神ト云フ
とあり、当山に平安時代、天神信仰が生まれ、天満宮が建立される以前は、古代の神として、この霊山に祭られた女性神がいらしたのです。
下照姫は「古事記」に、大国主命(おおくにぬしのみこと)の娘として現れるお方で、その美しさは地上を照らすほどだったので、その名が付けられたようです。当山は、初めて天上から天照大神が降臨されたという伝承を持ち、女性の神々に縁のある聖地でもあります。
<ご神徳>
〇女性の守護 〇縁結び等

延喜式・式内社「鍋倉神社」
延喜式・式内社「鍋倉神社」
連歌会所・菅明院のご由緒
連歌会所・菅明院のご由緒

連歌会所・菅明院のご由緒
明治維新以前は、この地に連歌会所、菅明院が建っていました(礎石が残る)。連歌は短歌の上の句(五・七・五)と、下の句(七・七)を交互に詠み連ねる文芸で、貴族から庶民に至るまで盛んに行われました。特に当、與喜天満神社の連歌は、「天神講連歌会」と呼ばれ、中世には全国的に知られ、文学史に記録されるものでした。
連歌のバイブルともいえる選集「竹林抄」(宗祇篇・文明八年(1476)成立)には、「初瀬にますは與喜の神垣」という当社を呼んだ句が所収されているほどです。
また、長谷寺の仁王門から初瀬川へ下ったところには、朱塗りの「連歌橋」が架かっています。この橋は当社への裏参道でもあり、連歌を行なう人々が渡ったため、その名が付きました。近年、この貴重な文化遺産である「菅明院の再建」を、という声が上がっています。

連歌会所・菅明院があったのはこの辺りらしい
連歌会所・菅明院があったのはこの辺りらしい
御祖の磐座の男女(夫婦)岩
御祖の磐座の男女(夫婦)岩
御祖の磐座の男女(夫婦)岩のご由緒
御祖の磐座の男女(夫婦)岩のご由緒

御祖の磐座の男女(夫婦)岩
與喜天満神社の御祭神菅原道真公は、昌泰元年(898)十二月長谷寺に参詣され、「当山(大泊瀬山)は是天照大神陰蟄の地、諸神冥道の守護の砌なり。・・・」、この山は昔から天照大神の影向された御神体山として信仰されている。又、天照大神の御霊を奉じて遷幸されていった第三番目の聖地が「伊豆加志本宮」で、ここで崇神天皇(すじんてんのう)の皇女豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)が八年間、御霊をお祀りされていたところが與喜山の麓付近であるかと思われます。その様な歴史的背景において御祖の信仰が深く根付くと同時に大日如来の化身として長谷寺の十一面観音が聖天様の女天、與喜天満神社の御祭神菅原道真公が男天と受け止められ神仏習合(本地垂迹)により「和合・・・男女が幸せに生きてゆく力」を願うのが男女(夫婦)岩です。心の奥底からお二人の幸福を祈念して下さい。

この先に與喜天満神社の本殿があります
この先に與喜天満神社の本殿があります
長谷寺へ向かう裏参道
長谷寺へ向かう裏参道
玉鬘庵跡
玉鬘庵跡
玉鬘庵跡の桜
玉鬘庵跡の桜

素盞雄神社

10:07
長谷寺へ向かう裏参道を行くと、素盞雄神社がありました。
由緒には、天照大神の弟神である素盞雄命(すさのおのみこと)の霊も鎮めねばならないとして、社殿を構えたとあります。

素盞雄神社
素盞雄神社
手水舎
手水舎
手水舎
手水舎
天然記念物 初瀬のイチョウの巨樹
天然記念物 初瀬のイチョウの巨樹

天然記念物 初瀬のイチョウの巨樹
イチョウは落葉性の高木で葉は長枝では互生し、短枝ではむらがっている、形は扇形で秋の落葉前には美しい黄色となる。種子は核果的で、熟すると黄色くなり異臭を放つ。これをギンナン(銀杏)という。雌雄異株である。
初瀬のイチョウは雄株で樹高約四〇m、枝張り南北約二三m、東西約二一m、目通り周囲七.一五mであり、イチョウの巨樹としては県下最大のものである。

天然記念物 初瀬のイチョウの巨樹
天然記念物 初瀬のイチョウの巨樹
秋葉神社
秋葉神社
素盞雄神社 拝殿
素盞雄神社 拝殿
素盞雄神社 由緒
素盞雄神社 由緒

素盞雄神社

祭神 二座
素盞雄命(すさのおのみこと)
大倉比賣命(おおくらひめのみこと)

末社 一社
祭神 二座
十二社明神
秋葉明神

由緒
当社は、社伝によれば、今(平成三年)を去ること千四十三年の昔、天暦二年(948)に、神殿太夫武麿(こうどのたいぶたけまろ)が菅公(菅原道真)の霊を迎えて與喜天満宮創建の時、與喜山(大泊瀬山、天神山)は、天照大神降臨の山であり、その弟神、素盞雄命の霊を鎮めねばならないと、この所に社殿を構えたのが始まりであるということであります。
その後、全国的な祇園信仰の高まりとともに、疫病除けの神として明治維新までは、廊土寺(ろうどじ)という宮寺も置かれていて、本地佛 牛頭天王(ごずてんのう)(祇園精舎の守護神)から転訛した「ごつてらさん」の俗称で人々に親しまれ、厚い信仰を集めてまいりました。
明治四十一年(1908)には延喜式内社鍋倉神社(祭神大倉比賣命)も合祀され、地元川上区の産土(うぶすな)神として今日に至って居ります。
末社一宇は、長谷寺境内(山門傍)より明治初年に十二社明神を遷し、四十一年鍋倉神社遷座とともに、その末社秋葉明神を合祀したものであります。

十三重石塔
十三重石塔
素盞雄神社 拝殿
素盞雄神社 拝殿

長谷寺

いよいよ長谷寺に参ります。

10:16
裏参道の方から来たので、なんだかイレギュラーな感じですが、連歌橋を渡って、仁王門の前へ来るのは、長谷寺の東側から入ってきた形になります。

連歌橋
連歌橋
長谷寺略縁起
長谷寺略縁起

長谷寺略縁起
当山は朱鳥元年(686)天武天皇の御願により道明上人によって創建され、それより約五十年の後、徳道上人が聖武天皇の勅願を受け、楠の霊気をもって十一面観世音菩薩の尊像を造立し大伽藍を建立してお祀りになりました。
ご本尊は御身丈三丈三尺(十メートル余)、右手に錫杖を持ち、大磐石の上に立つお姿で、霊験あらたかなことはつとに有名であり、古典文学の代表である源氏物語や枕草子などにも「初瀬詣」として語られています。
また、長谷観音の信仰は全国に広まり、ご分身を奉祀する寺院は鎌倉の長谷寺など百数十ヶ寺を数えます。
花山法皇は当山に深く帰依され、
「いくたびも まいる心は はつせ寺 山も誓いも 深き谷川」
と一首を詠んでたたえられました。
観音の慈悲、伽藍の荘厳、加えて春の桜、初夏の牡丹など四季折々の美しさはいずれも天下の景勝地にふさわしく、万葉の昔から「陰国の初瀬」として歌枕の地にもなりました。
さらに西国三十三所観音霊場の第八番札所であり、また末社三千余、檀信徒二百万を有する真言宗豊山派の総本山であります。

長谷寺灯篭
長谷寺灯篭

御本尊大観音の特別拝観をやっているという事で、拝観料1300円を奮発。
大変見易い境内の案内地図を頂けたので、参拝ルートに沿って巡っていきます。

長谷寺の詳しい説明や参拝ルートなどは、ホームページが充実しているので、そちらをご参照頂いた方が良いと思います。

長谷寺ホームページ


仁王門(重要文化財)

10:22
仁王門は、平成27年11月から29年3月まで、保存修理工事の真っ最中でした・・・。

長谷寺仁王門 保存修理工事 (平成27年11月~平成29年3月末日)
長谷寺仁王門 保存修理工事 (平成27年11月~平成29年3月末日)
御本尊大観音特別拝観
御本尊大観音特別拝観
重要文化財仁王門 修復勧進のお願い
重要文化財仁王門 修復勧進のお願い

長谷寺の總門である仁王門は三間一戸の楼門(ろうもん)、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺、軒は二軒重垂木(ふたのきしげたるき)、組物は三手先組(みてさきぐみ)、虹梁(こうりょう)上部に鳳凰、龍、獅子などの彫刻を嵌めるなど豪華な楼門です。創建より幾度かの火災に遭い消失しますが、三代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)の頃、慶安三年(1650)本堂と共に再建されました。
その後、明治十五年年(1882)十二月に焼け落ちましたが、明治二十七年(1894)に現在の建物が再建されました。楼門両側に仁王像、楼門上階に釈迦三尊と十六羅漢を祀っています。
このように創建より幾度となく再建されて参りましたが、建立より約百二十年の歳月が経過し、屋根瓦などの修復が必要な時期になりました。つきましてはご参拝の皆様よりご浄財を賜りたくここにお願い申し上げます。

長谷寺仁王尊
長谷寺仁王尊
長谷寺仁王尊
長谷寺仁王尊

登廊(重要文化財)

仁王門を抜けると、登廊(のぼりろう)を登っていくことになります。
長歴三年(1039)、春日大社の社司の中臣信清(なかとみののぶきよ)が、子の病気平癒の御礼に造ったもので、百八間、三九九段、上中下の三廊に分かれている。

登廊
登廊

入ってすぐ右に、長谷寺を開山した道明上人の御廟塔がありました。

道明上人御廟塔
道明上人御廟塔

仁王門を入ってすぐ左には、長谷寺六坊の一つ「歓喜院(かんきいん)」があります。

歓喜院
歓喜院

歓喜院
当山六坊の一院にして元禄十四年(1701)当山第十四世英岳僧正により再建せらる。近年参籠所を併設して改装。

歓喜院
歓喜院
登廊
登廊
昭和寮の桜
昭和寮の桜
奥之院へ続く道
奥之院へ続く道

宗宝蔵

10:32
長谷寺六坊の一つ、清浄院(せいじょういん)跡地に建っています。
春と秋に開扉して長谷寺に伝わる国宝、重要文化財等の宝物公開を行なっています。
中は撮影禁止だったのですが、丁度一般公開されていたので、時間をかけて見学させて頂きました。

宗宝蔵
宗宝蔵
清浄院
清浄院

清浄院
当山六坊の一。もと十輪院と呼び、天和二年(1682)真誉法印が滋心院として再興し、明治に清浄院と改称する。宗宝蔵はその跡地に建つ。

宗宝蔵
宗宝蔵

梅心院

11:03
宗宝蔵の向かいに長谷寺六坊の一つ「梅心院(ばいしんいん)」があります。

梅心院
梅心院

梅心院
当山六坊の一院にして、慶長のはじめ(1603頃)徳川家康(とくがわいえやす)公、当山に参詣の砌り(みぎり)、命じて建立せしむ。

梅心院
梅心院

右へ行くと、藤原俊成(ふじわらのとしなり、しゅんぜい)、定家(ふじわらのさだいえ、ていか)の塚があるという事ですが、行き忘れました・・・。


慈眼院

登廊を登った左手に、長谷寺六坊の一つ「慈眼院(じげんいん)」があります。

慈眼院
慈眼院

慈眼院
当山六坊の一院にして、寛文五年(1665)当山第八世快壽僧正により建立せらる。

慈眼院
慈眼院

月輪院

その向かいには「月輪院」があります。

月輪院
月輪院
月輪院
月輪院

繋屋

最初の登廊を登りきったところは繋屋と呼ばれるようです。
正面に手水所があります。

手水所
手水所

金蓮院

左に「金蓮院(こんれんいん)」と「三部権現社(さんぶごんげんしゃ)」があります。

金蓮院
金蓮院

金蓮院
当山六坊の一院。承応二年(1653)当山第六世良誉僧正再建せしむ。

金蓮院
金蓮院

三部権現社

三部権現社
三部権現社

三部権現社
寛永六年(1666)当山の鎮守として、第四世秀算が根来寺より勧請、次いで寛文十二年(1672)第九世頼意が九社明神を勧請す。元五社あり橘宮神、春日社、弁財天を共に祀る。

三部権現社
三部権現社

石段を登ると開山堂の前に出て、本堂へ行く近道になるようですが、今回は右に折れて、二つ目の登廊を登ります。

開山堂への石段
開山堂への石段
登廊
登廊

蔵王堂

二つ目の登廊を登りきった所の右手に「蔵王堂(ざおうどう)」があります。

蔵王堂
蔵王堂

蔵王堂
天正五年(1577)の創建
蔵王権現を祀る
慶安三年(1650)徳川家光(とくがわいえみつ)公の命により再建せらる。

蔵王堂
蔵王堂
蔵王三鈷
蔵王三鈷

蔵王三鈷(ざおうさんこ)
蔵王権現が右手に持つ三鈷杵という法具です。
お手を触れて、七難即滅(しちなんそくめつ)(世の中の七つの大難はたちどころに消滅し)、七福即生(しちふくそくしょう)(七つの福が生まれる)を願い、難を滅ぼして福を招きましょう。

七難・・・太陽の異変、星の異変、風害、水害、火災、旱害、盗難
七福・・・寿命、有福、人望、清簾、威光、愛敬、大量

蔵王権現三尊像
蔵王権現三尊像

蔵王権現三尊像(ざおうごんげんさんぞんぞう)

構造 木造玉眼彩色
時代 江戸 十七世紀
像高
右尊 55.5cm
中尊 67.4cm
左尊 60.5cm

蔵王権現は、釈迦如来(過去仏)・千手観音(現在仏)・弥勒菩薩(未来仏)三世の利益を表し、毎日金峰山より金色の梯を渡り、本尊十一面観世音菩薩様の下へ詣で来る為ここに祀られている。
右手に持つ三鈷杵は天魔を粉砕する相を示し、左手の剣印は一切の情欲や煩悩を断ち切る利剣を示す。左足の踏み付けは地下の悪魔を押さえ付け右足の蹴り上げは天地間の悪魔を払っている。背後の炎は大智慧を表している。

蔵王権現真言
南無蔵王大権現

三鈷杵
三鈷杵

紀貫之 歌碑、小林一茶 句碑

紀貫之 歌碑 古里の梅
紀貫之 歌碑 古里の梅

万葉集三十五番 紀貫之(きのつらゆき)の歌碑があります。
「人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」

紀貫之 歌碑 古里の梅
紀貫之 歌碑 古里の梅
紀貫之 歌碑 古里の梅
紀貫之 歌碑 古里の梅
小林一茶 句碑
小林一茶 句碑

此裡(このうち)に春をむかえて
我もけさ 清僧の部也 梅の花

寛政十年(1798)元旦 登嶺の際、詠まれし俳句
荘厳な雰囲気の山中で迎えた今朝身も心も清浄(しょうじょう) 自分もまた清僧の仲間入りした感あり 一山に響く読経の声を耳に新しい人生の首途(かどで)の決意もみなぎる
この心境を言えば、寒気の中に凜として香り咲くまさに梅の花の如し。

小林一茶 句碑
小林一茶 句碑

小林一茶(こばやしいっさ) 句碑
「我もけさ 清僧の部也 梅の花」

三番目の登廊を登ると本堂に至ります。

登廊
登廊
本堂が見えてきました
本堂が見えてきました

大伴坂上郎女 歌碑、松尾芭蕉 句碑

大伴坂上郎女 歌碑
大伴坂上郎女 歌碑
大伴坂上郎女 歌碑
大伴坂上郎女 歌碑

万葉集の代表的歌人である、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌碑
「陰国乃 始瀬山者 色附奴 鐘禮乃雨者 零尓家良思母」
(こもくりの はつせのやまは いろづきぬ しぐれのあめは ふりにけらしも)

松尾芭蕉 句碑
松尾芭蕉 句碑
松尾芭蕉 句碑
松尾芭蕉 句碑

松尾芭蕉の句碑
「春の夜や 籠り人床し 堂のすみ」


本堂(国宝)

11:17
ご朱印を頂きまして、特別拝観されていた御本尊を拝しました(中は撮影禁止)。

(パンフより引用)
小初瀬山中腹の断崖絶壁に懸造り(舞台造)された南面の大殿堂である。
正面(内陣)は桁行(間口)の柱間九間、梁間(奥行)同五間、入母屋造本瓦葺で、また礼堂(外陣)は正堂よりやや低く、桁行九間、梁間四間、正面入母屋造本瓦葺。

ご本尊 十一面観世音菩薩
近江の国高島から来た楠の霊木を用いて、三日間で造り上げたといわれ、全国に広がる長谷観音の根本像です。御身の丈三丈三尺(十メートル余)、右手に錫杖を持ち、平らな石(大磐石)の上に立つ独特なお姿をしています。これは観音様の特別なお徳を表し、人々の願いに対する慈悲の深さを示しています、現在の御像は天文七年(1538)東大寺仏性院実清良学の作と伝えられ両脇に難陀龍王と雨宝童子が仕えています。

長谷寺 本堂
長谷寺 本堂
愛染堂への石段
愛染堂への石段
長谷寺 本堂
長谷寺 本堂
長谷寺 本堂
長谷寺 本堂
長谷寺 本堂
長谷寺 本堂
長谷寺 本堂
長谷寺 本堂
長谷寺 本堂
長谷寺 本堂

ご朱印

長谷寺 ご朱印
長谷寺 ご朱印
長谷寺 ご朱印
長谷寺 ご朱印

西國第八番
大和國 長谷寺
御本尊十一面観世音菩薩

いくたびも まいるこころは はつせでら やまもちかいも ふかきたにがわ

開基 徳道上人
建立 朱鳥元年

奈良県桜井市初瀬
真言宗 豊山 長谷寺


大黒堂

大黒天
大黒天

11:37
大和七福神八宝霊場
大黒天

構造 木造彫眼彩色
像高 138cm(米俵含む)

米俵の上に立ち、福袋と打ち出の小槌を持つこの尊像は、弘法大師(こうぼうだいし)御作と伝わる。
大黒天は、インドから密教と共に日本に伝来し、神道の大国主命(おおくにぬしのみこと)と習合してからは、七福神として信仰されるようになった。
当山の大黒天は、大和七福神八宝霊場の一柱として特に財宝を司り、様々な宝物を人々に授ける御利益を持つ。

大黒堂
大黒堂

開山堂

11:39
時間が経ちすぎているので、この辺りから大分巻きが入っています。

開山堂
開山堂

開山堂
神亀四年(727) 聖武天皇の勅願により長谷寺を創建。
本尊十一面観世音菩薩を安置せられたる徳道上人を祀る。

開山堂
開山堂

総本山長谷寺開山
西国三十三所開祖
徳道上人

西国三十三所観音霊場ご本尊

開山堂
開山堂
眼力不動明王
眼力不動明王
仙台藩伊達政宗(だてまさむね)公 縁の 白萩 五株
仙台藩伊達政宗(だてまさむね)公 縁の 白萩 五株
忠霊塔
忠霊塔

本願院

元本坊 本願院
元本坊 本願院
元本坊 本願院
元本坊 本願院

三重塔跡

三重塔跡
三重塔跡

三重の塔跡
慶長年間、豊臣秀頼公によりて再建せられたるも、明治九年三月祝融の災いにかかり、現在は礎石のみを残す。

三重塔跡
三重塔跡
三重塔跡
三重塔跡

五重塔

11:49
(パンフより引用)
昭和二十九年、戦後日本に初めて建てられた五重塔で、「昭和の名塔」と呼ばれている。純和様式の整った形の塔で、塔身の丹色と相輪の金色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し、光彩を放っている。

五重塔
五重塔
五重塔
五重塔

本長谷寺

11:50

本長谷寺
本長谷寺

本長谷寺(もとはせでら)
天武天皇御悩平癒のため、朱鳥元年(686)道明上人ここに精舎を建立し、千佛多宝塔銅盤(国宝)を鋳造して祀る。これ長谷寺の草創なると以て本長谷寺と称す。
銅盤は宗宝蔵に安置

本長谷寺
本長谷寺

弘法大師御影堂

11:51

御影堂
御影堂

御影堂(みえどう)
宗祖弘法大師御入定一千百五十年御遠忌を記念して、その御徳を偲び、昭和五十九年建立せられる。

弘法大師御影堂
弘法大師御影堂

一切経堂

一切経堂
一切経堂

一切経堂(いっさいきょうどう)
永禄四年(1561)牧野備後守成貞(まきの びんごのかみ なりさだ)の再建にして納むる唐本一切経は寛文七年(1667)水野石見守忠貞(みずの いわみのかみ たださだ)の寄進
・・・(注)徳川綱吉の側用人を務めた牧野成貞ならば、永禄四年の記載があるのは100年ほど時代が合わないが、文脈がわかりません。

一切経堂
一切経堂

納骨堂

11:55
(パンフより引用)
地蔵菩薩を本尊に有縁の御霊を祀り永代の御供養を行なうお堂。お預かりした御遺骨、建立された御位牌を安置し、毎月月末に御回向の法要を行なっている。

歴代能化墓所
歴代能化墓所
納骨堂
納骨堂

奥の院

この辺りは奥の院と呼ばれるところで、墓所となっています。

歴代能化墓所
真言宗豊山派の派祖と仰がれる専誉僧正を初代として長谷寺歴代の能化(住職)の墓が奉安されています。

歴代能化墓所
歴代能化墓所

歴代能化墓所
この浄域には、真言宗豊山派の派祖と仰がれる専誉僧正を初代として長谷寺歴代の能化(住職)の墓が奉安されています。
専誉僧正は、もと根来寺(和歌山県)の能化として真言宗の多くの僧侶達を指導しておりましたが、根来寺が豊臣秀吉の焼討ちによって焼失したのち、大和の国の領主、豊臣秀長公の招きで、天正十六年(1588)に長谷寺に入山されたのです。
その時から長谷寺は、根来寺の法灯を受け継ぐ真言宗の寺となりました。
専誉僧正は、長谷寺を奈良時代以来の観音霊場として復興するとともに、全国から登嶺する僧侶達の指導に尽力され、真言宗の一大修学道場としました。
僧正に続く歴代の能化もまた、その伝統を受け継いでこんにちに至っております。
平成十五年、派祖専誉僧正四百年・頼瑜僧正七百年御遠忌を迎えるにあたり、歴代能化の墓域を整備いたしました。
これはひとえに祖師先徳への報恩感謝の浄行であり、この功徳によって全国の末寺・末徒・檀信徒の皆様や来山された参詣者の皆様が、子々孫々にいたるまで御加護をいただけますよう祈念いたしております。

歴代能化墓所
歴代能化墓所

興教大師祖師堂

興教大師祖師堂
興教大師祖師堂

専誉僧正、豊臣秀長公供養塔
秀長公の供養塔を探すのに苦労しました・・・。

専誉僧正供養塔
専誉僧正供養塔
豊臣秀長公供養塔
豊臣秀長公供養塔

陀羅尼堂

陀羅尼堂
陀羅尼堂

12:02
(パンフより引用)
長谷寺の塔頭寺院。正堂(興教大師堂)、礼堂(陀羅尼堂)を併せ菩提院と称する。
毎月五日には専誉僧正回向、十二日には興教大師回向の法要を行なっている。

興教大師
興教大師

本坊

本坊
本坊

12:12
(パンフより引用)
事相・教祖の根本道場である大講堂や書院などがある。寛文七年(1667)徳川将軍の寄進で建立されたが、明治四十四年(1911)炎上。現在の堂宇は大正十三年(1924)に再建された。総檜造りの大殿堂で、平成二十六年十二月十日重要文化財に登録された。

天皇皇后両陛下行幸啓記念 御手植松
天皇皇后両陛下行幸啓記念 御手植松
天皇皇后両陛下行幸啓記念 御手植松
天皇皇后両陛下行幸啓記念 御手植松
本坊
本坊

閼伽井

閼伽井
閼伽井

閼伽井(あかい)
灌頂(かんじょう)などの重要な儀式法要に用いる清浄な水(閼伽)を汲む井戸です。
閼伽は梵語(古代印度のことば)の「アルギャ」という音を写した言葉です。

閼伽井
閼伽井

本坊から本堂を見ると、こんな感じで見えます。

本坊から本堂を望む
本坊から本堂を望む

六角堂

六角堂
六角堂
六角堂
六角堂

総受付

普門院不動堂
普門院不動堂

12:20
やっと下山してきました。

普門院不動堂
普門院不動堂
総本山 長谷寺
総本山 長谷寺
奈良県桜井市初瀬731−1

昼食

お食事処
お食事処

12:25
與喜天満神社の入り口の横にお食事処があるのをチェックしていました。
こちらで、定番となりつつある親子丼を頂きました。

親子丼
親子丼

長谷寺駅から室生口大野駅へ移動

計画では一時間前には長谷寺を出ている予定だったのですが、見どころたっぷりで、大きく予定が遅れています(笑)
この為、ウォーキングは諦めて、バスが来るまで大野寺に参拝して、室生寺へはバスで移動することにしました。
結果としてはそれが正解だったのですが、詳しくはこれからです。

長谷寺発13:16 → 榛原着13:21 (近鉄大阪線区間準急・榛原行)
榛原発13:25 → 室生口大野着13:31 (近鉄大阪線急行・名張行)

榛原駅
榛原駅
近鉄電車入線
近鉄電車入線
室生口大野駅
室生口大野駅
室生観光案内図
室生観光案内図

大野寺(Onoji)

13:39
室生口大野駅から徒歩5分くらいで、大野寺に着きます。
丁度、しだれ桜の見頃を迎えていて、多くの参拝客で一杯でした。
向かいの駐車場では物産展をやっていたので、奈良の地酒を購入しました。

(大野寺HPより引用)
寺伝によると、白鳳九年(681)に役小角(えんのおづぬ)が開き、天長元年(824)に弘法大師が室生寺を開創のとき、この地に一宇を建て、本尊弥勒菩薩を安置して慈尊院弥勒寺と称しました。その後、地名を付けて大野寺と名付けられました。対岸の切り立った岩壁には13.8mと国内で最も高い弥勒磨崖仏が線刻されています。笠置寺の磨崖仏(みろくまがいぶつ)を模して造立されたといわれています。見事に咲き誇る春の枝垂桜が有名です。

弥勒大石佛別当 大野寺
弥勒大石佛別当 大野寺
小糸 しだれざくら 樹齢三百余年
小糸 しだれざくら 樹齢三百余年
小糸 しだれざくら 樹齢三百余年
小糸 しだれざくら 樹齢三百余年
鐘楼
鐘楼
しだれ桜
しだれ桜
しだれ桜
しだれ桜
しだれ桜
しだれ桜
しだれ桜
しだれ桜
慈尊院
慈尊院
大野寺本堂
大野寺本堂
大野寺本堂
大野寺本堂
弥勒磨崖仏
弥勒磨崖仏
弥勒磨崖仏
弥勒磨崖仏
弥勒磨崖仏
弥勒磨崖仏
史跡 大野寺石仏
史跡 大野寺石仏
史跡 大野寺石仏
史跡 大野寺石仏
霊牌堂
霊牌堂
しだれ桜
しだれ桜
しだれ桜
しだれ桜
大野寺 ご朱印
大野寺 ご朱印
奈良県宇陀市室生大野1680

室生寺へ移動

室生口大野駅発、室生寺行きのバスがあり、今回は大野寺から乗ります。
ちなみに室生口大野駅を出て、バス1分で大野寺ですので、めちゃ近いことが分かります。

大野寺発14:01 → 室生寺着14:14 (奈良交通・43系統(室生口大野駅−室生寺前)・室生寺行)


室生寺(Murouji)

14:15
室生寺に到着。

女人高野室生山
女人高野室生山
太鼓橋を渡って境内へ
太鼓橋を渡って境内へ
室生川
室生川
こちらの桜も見頃
こちらの桜も見頃
女人高野室生寺
女人高野室生寺
室生寺案内
室生寺案内

「女人高野」として名高いこの寺は、天武天皇九年(681)役行者によって開かれ、後に弘法大師の手で伽藍の整備が行われました。
この寺は、高野山と同じ真言宗に属していますが、古くから女人の入山を許していました。境内には金堂、五重塔などの伽藍、本尊釈迦如来像、十一面観音像等多くの国宝、重文が残されています。

室生寺絵図
室生寺絵図
三宝杉
三宝杉
三宝杉
三宝杉

ご朱印

仁王門の手前に授与所があり、最初のご朱印が頂けます。
他に本堂(灌頂堂)と、奥の院とで三種頂けるんです。

室生寺 ご朱印(悉地院)
室生寺 ご朱印(悉地院)

仁王門

仁王門
仁王門
仁王門
仁王門
仁王尊
仁王尊
仁王尊
仁王尊
手水
手水

手水は可愛い感じです。

バン字池
バン字池

バン字池に、桜の花びらが一杯浮かんでました。

最初の石段
最初の石段

突き当りを左に曲がり、いよいよ石段を登ってゆきます。

弁財天堂
弁財天堂

弥勒堂(重要文化財)

石段を登りきると伽藍が見えてきます。
左には重要文化財の弥勒堂があります。
写真を撮るのを憚り、残っておりませんが、国宝の釈迦如来像、重要文化財の弥勒菩薩像があります。

弥勒堂
弥勒堂
弥勒堂
弥勒堂

金堂(国宝)

右正面には国宝の金堂。
この時期は「金堂諸仏 国宝 釈迦如来像・十一面観音像 特別拝観」が行われていました。
写真撮影は禁止ですが、特別拝観料400円で、国宝の釈迦如来立像、十一面観音像や重文の数々が観られました。

金堂
金堂
金堂
金堂

本堂(灌頂堂)(国宝)

金堂左側の石段を登った先には、国宝の本堂(灌頂堂)があります。
本尊は重要文化財の如意輪観音菩薩です。
こちらで二つ目のご朱印を頂く事が出来ます。

本堂(灌頂堂)
本堂(灌頂堂)
本堂(灌頂堂)
本堂(灌頂堂)
本堂裏の石塔
本堂裏の石塔
本堂裏の石塔
本堂裏の石塔
本堂(灌頂堂)
本堂(灌頂堂)
室生寺 ご朱印(如意輪観世音)
室生寺 ご朱印(如意輪観世音)

五重塔(国宝)

更に石段を登ると、国宝の五重塔が見えます。

五重塔
五重塔
五重塔
五重塔

奥の院へ

参道を抜けていくと、めちゃくちゃキツイ石段が待っていました。
一番上に奥の院と呼ばれる御影堂(大師堂)があるんですが、全然上が見えません・・・。
えらいとこ来てしもたなぁと思いましたが、折角の機会だからと頑張って登りました。

修円僧都の廟
修円僧都の廟
五重塔横の石塔
五重塔横の石塔
五重塔横の石塔
五重塔横の石塔
奥の院へ続く参道
奥の院へ続く参道
キツイ石段の入り口
キツイ石段の入り口
ホンマにキツイ石段
ホンマにキツイ石段

降りて来られる、お元気なおじいさん、おばあさんに励まされながら登りましたが、ホンマ大変でした。


奥の院 御影堂(大師堂)(重要文化財)

奥の院の御供所に居られた僧侶は若い方でしたが、この石段を毎日昇り降りするのは、ほんまに大変やと思いました。
こちらで最後になる三つ目のご朱印が頂けます。

奥の院
奥の院
御影堂(大師堂)
御影堂(大師堂)
室生寺 ご朱印(弘法大師)
室生寺 ご朱印(弘法大師)

奥の院 常燈堂(位牌堂)

常燈堂(位牌堂)
常燈堂(位牌堂)
常燈堂(位牌堂)
常燈堂(位牌堂)
常燈堂(位牌堂)
常燈堂(位牌堂)

常燈堂を石段の途中から撮ったもの。


帰りはもっときつい

私の歩き方が悪いのか、骨格か何かが悪いのかもしれませんが、下り路だと両膝が痛くなるんです。
もちろん疲れもあると思いますが、なが~い下りの石段は非常に恐ろしく、何度も足を踏み外して落ちそうになりました・・・。
もしウォーキングで室生寺まで来て、疲れたところに700段にもある石段を昇り降りしていたら、死んで居たかも知れません。
石段を降りてきたところで北畠親房(きたばたけちかふさ)公の墓(重要文化財)を見つけてしまい、めちゃくちゃ肝が冷えました・・・。
ちなみに親房公が亡くなったのは、南朝の拠点だった、吉野の賀名生の行宮の筈。

五重塔
五重塔
北畠親房の墓(重要文化財)
北畠親房の墓(重要文化財)

帰る前に

頑張って下山してきたんですが、15:30を過ぎてしまっていました。
もう少し早ければバスに乗れたんですが、膝が痛くて、まともに歩けませんでした・・・。
次のバスは最終の16:30発。
太鼓橋を渡ってすぐ右側にうどん屋さん(橋本屋)があり、こちらで休憩がてら時間をつぶすことにしました。
山菜うどんとビールを注文して、膝にヒールの魔法をかけ続けましたよ。

山菜うどんとビール
山菜うどんとビール
奈良県宇陀市室生78

帰路

ビールとヒールが効いたのか、多少楽になりましたので、帰路に着きました。

室生寺発16:30 → 室生口大野駅着16:44 (奈良交通・43系統(室生口大野駅−室生寺前)・室生口大野駅行)
室生口大野発16:54 → 鶴橋着17:49 (近鉄大阪線急行・大阪上本町行)
鶴橋発17:53 → 大阪難波着17:59 (近鉄奈良線・尼崎行)
なんば発18:03 → 梅田(大阪市営)着18:11 (大阪市営御堂筋線・千里中央行)

最後は、いきつけの新梅田食堂街にあるセブンシーズに寄って締めました。


ここまでお読み頂きまして、ありがとうございます。
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