2016年9月16日の記事(改訂版)
前回の更新から、めちゃくちゃブランクが空いてしまいました。。。
参拝したのが2年近く前なので、思い出を振り返るべく、忘れてしまう前に続きに取り掛かりました次第・・・。
尚、電車のダイヤや乗車賃とか、変わってるかもしれませんが、あくまでも当時の記録ですので、お気を付け下さい。
目次
二日目
9月9日
日本海側は、この日も雨が降ったりやんだりの一日でした。
午後からは雨に降られなくて良かったのですが、午前中は何度も雨宿り対策を強いられました。
天橋立を見ながら朝食
朝風呂にも入ってすっきりして、ホテルを早々にチェックアウト。
天橋立駅の前を通り過ぎたところにコンビニがあり、こちらでおにぎりを買いました。
それを持って、智恩寺横の駐車場を抜けて、天橋立が見える海岸までやってきました。
とても朝の空気が澄んでいて、すごい気持ち良かったです。
![天橋立駅](http://larmetal777.com/wp-content/uploads/IMG_7741.jpg)
![天橋立駅](http://larmetal777.com/wp-content/uploads/IMG_7742.jpg)
![天橋立 阿蘇海](http://larmetal777.com/wp-content/uploads/IMG_7743.jpg)
智恩寺(日本三文殊の一つ)(Chionji)参拝
駐車場の方から直接境内に入れます。
朝早いのに、既に外国人観光客で一杯です。
人が写らないようにタイミングを図るのが難しいです。
![日本三文殊 智恵の文殊堂 天橋山 智恩寺](http://larmetal777.com/wp-content/uploads/IMG_7744.jpg)
禅臨済
天橋山 智恩寺
ここ智恩寺は「知恵の文殊」とよばれ、またこのところの名から「切戸(きれと)の文殊」・「九世戸(くせど)の文殊とよばれて古くからの信仰の厚いところであった。寺伝によればその開創は千余年の昔、延喜年間という。世に三文殊と称するのは、ここ智恩寺に加えて、奈良県桜井市の阿部院・京都市左京区金戒光明寺(あるいは、これに代えて、山形県高畠町大聖寺)の三寺の文殊のことである。
国指定の特別名勝「天橋立」というのは、海中に、3.6キロメートルにわたって連なる砂嘴(さし)の部分だけでなく、それを展望できる成相寺山麓の「傘松」(かさまつ)の地、そしてここ智恩寺の境内地をも含めているのである。
寺に伝わる古縁起にも、
そもそも、九世戸あまのはしたてと申すは、本尊は一字文殊、鎮守ははしたての明神と申す、本地はおなじ文殊にておわします 云々
と記し、橋立も一体の信仰の地と考えられてきたのである。
本尊は、善財童子(ぜんざいどうじ)・優闐王(うてんおう)を従えた文殊騎獅像である。境内には、本堂をはじめ、山門・多宝塔ほか諸堂が並び、寺だけでなく、地方の歴史を語る多数の遺物に接することができる。 宮津市教育委員会
智恩寺山門
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国指定重要文化財(建造物)
智恩寺多宝塔 (室町時代)
上重は円形で亀腹を付け宝形の屋根を載せて相輪を付し、下重は周囲に方形の裳階を付けた形式の塔を多宝塔という。
本寺多宝塔は、上重の柱等に記される墨書銘によって、丹後国守護代で府中城主延永修理進春信によって建立され、明応十年(1501)に落成したことが知られる。
下重には来迎柱が立ち、前方に須弥壇をつくって大日如来が安置されている。来迎壁の背面には造塔の奉行も務めた丹後一宮大聖院の住僧智海により片足を上げた不動明王が描かれており、「八十余歳書之・智海」の署名がある。
本塔は市内で唯一の中世建築遺構であり、かつ唯一の国指定重要文化財建造物である。丹後地方には残存する古建築が極めて少ないなかで、創建の事情、年代が明らかな本塔は貴重な存在である。 宮津市教育委員会
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謡曲「九世戸」と智恩寺
九世戸(くせのと)は、天橋立と智恩寺のある半島との海峡を言ったが中世には智恩寺の異称でもあった。謡曲「九世戸」は同寺に伝承されてきた「龍燈・天燈」の神事で、現在も「出船祭」として行われている祭りを中心に脚色した初番物です。
天皇の臣下が九世戸に参拝し、美しい景色に見とれていると、老若二人の漁夫が現れる。老人は九世戸の地名の由来や縁起などを説明し「本尊の文殊菩薩に仕える者で、今夜は神事が行われる」と教えて消える。
夜が更けると、月下に天女が天燈を持って降臨し、海上から龍神が龍燈を持って現れ、松の木に捧げると光は一つになって天地を照らす。龍神は神通力で飛び回り、豪快に舞を舞う。 謡曲史跡保存会
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力石(ちからいし)
この石は、当地文殊に伝わる力石と呼ばれるもので、祭や集会の余興にこの石を持ち上げ、青年達が力自慢を競ったものです。
(石の重さ 大130kg 小70kg)
今では、当智恩寺に奉納されこの石に触ると不思議に力と知恵が授かると今に、伝わっています。どうぞご自由にお触り下さい。
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宮津市指定有形文化財(彫刻)
石造地蔵菩薩立像(室町時代)
ここには、南に並んで二躯、その北に離れて一躯の、等身の地蔵菩薩像が立っている。いずれも右手を握って錫杖を執る形を示し、左手には宝珠をささげている。
二躯が並ぶ内の向かって右側のものは、最も保存状態が良く作風的にも優れている。背面の銘文によると、応永三十四年(1427)に、三重郷(現中郡大宮町)の、大江越中守(法名永松)の発願により造立された一千体地蔵の内のひとつとなるが、他に同類の作は知られていない。
離れて立つ北の一躯は、斜めに流れる体部衣文の的確な彫法などに、優れた技法を見せるが、頭部を失い現在は後補のものと替わっている。背面銘文から、三上因幡守(因州太守沙弥祐長)の発願により、永享四年(1432)に造立されたことがわかる。
また南のもう一躯についても、両手先ほかに欠損を受けているが、外二躯と制作年代が隔たるものではないであろう。
これらの地蔵像については、雪舟筆の国宝「天橋立図」に、それらしい姿が描かれており、智恩寺の歴史とも関わりが深い。
特に、願主、造立年代を記す先の二躯については、資料的価値も高く、平成五年に宮津市指定文化財に指定されている。 宮津市教育委員会
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宮津市指定有形文化財(建造物)
石造宝篋印塔(鎌倉時代)
この石塔はいつの頃からか和泉式部の歌塚と伝えられている。『丹哥府志』(たんかふし)によれば、丹後守藤原公基が日置金剛心院において、和泉式部が書捨てた和歌を持ち帰り、なみだの磯(涙が磯)に埋めて鶏塚と呼んだという。その反古の一首が、
いつしかと待ちける人に一声も
聞せる鶏のうき別れかな
その後明応(1492~1501)のころ、砂に埋まった塚を掘り出して文殊堂の傍らに建てたのが今の歌塚であるという。
彼女が丹後に下って詠んだ歌のいくつかは知られているが、前記の歌が丹後において詠まれたものかは分からない。丹後において各処の和泉式部伝説のあるなかで、これもそのひとつとしてうけとればよい。
塔は堂々として起訴の格狭間(ごうざま)や、塔身の薬研彫(やげんぼり)の四方仏の種子(しゅじ)、笠石四隅の突起等に時代的な特徴がみられる。 宮津市教育委員会
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鐘楼
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文殊堂
境内の風景ととけこんで、宝形造(ほうぎょうづくり)、銅板葺(どうばんぶき)の屋根のこの御堂が智恩寺本堂文殊堂である。正面五間側面六間で、内陣は三間四方、格子の間からなかを拝することも出来る。創建以来いくたびか修復が行われたが、内陣中央の四本柱は、神代以来伝えて来たものだという。
内陣厨子には、本尊、騎獅文殊菩薩坐像、その両側に従う善財童子・優闐王をまつる。文殊像は、如意を持って獅子の上の蓮華座上に安座の形、善財童子は経箱を捧げて立ち、優闐王は獅子の首をつけた鎖をとる。本尊の光背は、方形の身光、円形の頭光、その周縁の装飾等技巧をこらしたものである。像高は文殊菩薩49.1センチ、善財童子60.6センチ、優闐王62.1センチ。鎌倉時代後期の作、重文指定。
この地方には、戒岩寺が文殊菩薩を本尊とし、付近地名に獅子(ちし)・獅子崎(しいざき)があり、文殊菩薩をまつ穴文殊がある。文殊信仰が広く行われていたことを物語る。
文殊堂は西国札所成相寺と共にひろく天下に知られ、室町将軍家も度々ここを訪れたし、近世になると巡礼の人々で賑わった。近世前期には、日本三景天橋立の語とともに日本三文殊の語もひろく行われた。この堂外陣の壁に掲げられている多様な絵馬は文殊堂によせる人々の信仰の深さを物語っている。 宮津市教育委員会
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ご朱印
こちらで智恩寺のご朱印が頂けます。
国指定重要文化財(工芸品)
鉄湯船(鎌倉時代)
現在手水鉢として使用されているこの鉄盤は、本来湯船として制作されたものである。湯船は寺院の大湯屋において寺僧の施浴に用いられたものである。
この鉄湯船には内側に銘文が鋳出されており、そこからこの湯船は、もとは興法寺(現竹野郡弥栄町)のために鋳造されたことがわかる。同様の湯船は成相寺(宮津市)にも残されており、ともに銘文から、正応三年(1290)、河内国の鋳物師(いもじ)、山川貞清により制作されたことが知られる。
いずれにしても、このような古式の湯船が、現在二つも宮津市に残されていることは、珍重すべきことであり、また中世鋳物資料として、全国的にも極めて貴重な遺品である。 宮津市教育委員会
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稲富一夢斎の墓
この宝篋印塔は、近世初期における鉄砲の名手として名高い稲富一夢斎の墓と伝えている。一夢斎は伊賀守直家(いがのかみなおいえ)といい、代々一色家の家臣として、弓ノ木城主となり(与謝野町弓木)であったが、後には細川忠興の家来となり、さらに徳川家康の知遇を得て、鉄砲の名手としての名を謳われた。一夢斎の若いころは、天橋立の濃松(あつまつ)で射撃の稽古にはげんだが、特に二十五歳の時の話として、彼は文殊堂に十七日の願をかけ、闇討ちの訓練をおこなったが、その結果は犬や猫の姿はみないでも、その鳴き声だけで命中させたというし、また空飛ぶ鳥も希望通りの箇所に命中させたとの事である。
ことに彼が主人一色義俊と共に弓ノ木城に籠城中、細川の軍勢を相手に幾度か戦ったが、その大軍も直家の鉄砲で進むことができず、やむなく和を乞うたといわれている。
この宝篋印塔の台石には、左のように刻まれている。
伊州太守泰誉栄門
施主者 羽柴丹後守高知
慶長十六年辛亥二月六日(1611)
従ってこれが一夢斎を葬った墓か、あるいは京極高知の志で建てられた供養塔か、それは明らかではないが、古来この塔を一夢斎の墓といっているものである。 宮津市教育委員会
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天橋立観光船
智恩寺の境内の傍に天橋立観光船の乗り場があります。
切符売り場では色んな組み合わせの切符が販売されています。
わたしは、観光船、傘松公園のケーブルカー&リフト、成相寺の入山料と登山バスの全てがセットになった2300円のチケットを買いました。
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混んでると思って、第一便が出る8:30の15分前くらいに行ったんですが、外国人観光客の団体さんはバスで移動してるんでしょうかね?
この時間の便に乗ったのは、私を含めて3人で、ガラガラでした。
桟橋に「かもめ3号」が停まっているので、これに乗るもんだと思っていましたが、時間になったら沖から「かもめ11号」がやってきまして、これに乗り込みました。すっかり写真を撮り忘れました(笑)
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観光船の一の宮駅に到着
席に座っている「かさぼう」くんを発見!
とても力が抜けていました(笑)
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港を出てまっすぐ行くと、丹後一の宮の籠神社があります。
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丹後一宮 「元伊勢 籠神社」(もといせ このじんじゃ)
朝早い為か、まだ参拝客は少ない様子でした。
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籠神社(このじんじゃ) (古称 吉佐宮(よさのみや))
御祭神 彦火明命
相殿 豊受大神 天照大神
海神 天水分神
神代の昔より奥宮眞名井原に豊受大神をお祀りして来ましたが、その御縁故によって崇神天皇の御代に天照大神が大和国笠縫邑からおうつりになり、之を吉佐宮と申し、豊受大神と共に四年間お祀り致しました。
その後天照大神は垂仁天皇の御代に、又豊受大神は雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりました。それに依って當社は元伊勢と云われております。
両大神がおうつりの後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮と改め、元伊勢の社、又丹後国一之宮として朝野の崇敬を集めてきました。
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境内より先は撮影禁止でした。
ご朱印
拝殿の横で、籠神社と奥宮真名井神社のご朱印が頂けます。
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奥宮 真名井神社
石の鳥居の右側から境内を抜け、真名井神社に向かいます。
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真名井神社に着いたら、突然の大雨に遭いました。
日頃の行ないが悪いせいでしょうか・・・。
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ここから先は、撮影禁止です。
ケーブルカーで笠松公園へ
雨が上がって、すごい晴れてきまして、天橋立が綺麗に観えました。
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登山バスに乗って、成相寺に向かいます。
第二十八番札所 成相山 成相寺(Nariaiji)
乗って分かりましたが、バスには乗った方が良いです。
成相寺は山中にあるので、めっちゃ遠いです。
バス道の修復工事が終わって、従来は山門までだったのが、山門を越えて本堂前の石段の下まで送ってくれるようになり、足腰の悪いお年寄りでも、参拝するのが楽になったそうです。
山門前でも降りることは可能です。
バスには5人ほど乗ったのですが、ひとりだけ山門前で降りて行かれました。
撞かずの鐘由来
慶長十四年(1609)、山主賢長は、古い梵鐘にかえ新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、裕福そうな女房が「子供は沢山おるがお寺へ寄附するお金はない」と険しい目の色で断った。
やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑み児を抱いて見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑み児を落としてしまった。このような悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳をすますと子供の泣き声、母親を呼ぶ声、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って、一切この鐘を撞く事をやめ、撞かずの鐘となった。
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一願一言の地蔵さん
この地蔵さんは唯一願を一言でお願いすれば、どんな事でも必ず叶えて下さると伝えられる大変あらたかな地蔵さんです。
安楽ポックリの往生も叶えられると伝承されています。
約六百二十年前に創られた大変古いお地蔵さんです。
長い石段を登りきったところが本堂です。
鉄湯船(てつゆぶね)
重要文化財(工芸品)
鎌倉時代 正応三年(1290)
鋳物師 山河貞清
当山の湯屋にて湯船として使用していたもので、直接入るのではなく湯釜で沸かした湯を入れ、かかり湯をするために用いられたと思われる。後に薬湯を沸かして怪我や病気の人を治療したとも伝えられています。 成相寺
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ご朱印
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西國第二十八番
丹後國 成相山
御本尊聖観世音菩薩
なみのおと まつのひびきも なりあいの かぜふきわらす あまのはしだて
開基 真応上人
建立 慶雲元年
京都府宮津市成相寺
真言宗 成相山 成相寺
五重塔
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弁天山展望台
ここは笠松公園よりも高い位置にあるので、晴れていればかなり遠くまで見えると思います。
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底なし沼と弁天堂
山門
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世屋山 成相寺
ここ世屋山成相寺は、西国二十八番の霊場として、古くから有名であり、年中参詣人の絶えぬ山である。寺伝には文武天皇 慶雲元年(704)とあり、開基真応上人が何人であるか詳らかでない。しかし、その一千年に余る歴史は、対岸文殊堂および特別名勝「天橋立」と併せて、実に三位一体的存在であるといってよい。
当山縁起に、無遠禅師鹿肉のことがあり、その他怪異の説話もあり、いずれも霊場にふさわしいが、殊にかの大江山鬼退治の源頼光が納めた願文を有し、それに「此の度当国大江山夷賊追討の為勅令を蒙る」云々とあって、赤青の鬼族を想像させる何ものもない。下って足利期には一色対武田の戦いがくりかえされ、それはこの霊山の大きい悲しみであり、また償いえぬ損失であった。
なお当寺に数々の寺宝があって、なかでも「丹後国諸荘郷保総田数帳目録」および兆殿司筆と伝える「阿弥陀像」一幅は、ともに国の重要文化財に指定されている。
なにはともあれ信仰と景観を併せえた当山は誠に日本一の霊場である。
波の音 松のひびきも 成相の
風ふきわたす 天の橋立 (御詠歌)
宮津市文化財保護委員会
下山の途中
山門のバス停で帰りの登山バスを捕まえて、笠松公園に戻ります。
帰りはケーブルカーと並行して運航されているリフトで下りました。
常時運航されていて、麓まで6分で下りられます。
観光船の一の宮に着くと、丁度船が出てしまったところだったので、すぐ近くにある「傘松の里」さんで、昼食を取ることにしました。
天橋立駅へ戻り、松尾寺へ
結果として、事前に調べた時間通りに行けました。
帰りは「かもめ3号」に当たりました(笑)
天橋立観光船
一の宮発 11:45 → 天橋立着 11:57
天橋立発12:10 → 西舞鶴着12:57 (京都丹後鉄道宮豊線・西舞鶴行)
西舞鶴発13:01 → 東舞鶴着13:08 (JRリレー号・東舞鶴行)
東舞鶴発13:36 → 松尾寺着13:43 (JR小浜線・敦賀行)
松尾寺駅は、もの凄く寂しい駅でした。
東舞鶴方面
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小浜・敦賀方面
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一日何本ですか・・・。
松尾寺駅からは公共交通機関が無いので、徒歩になります。
道標に従って、線路沿いの家並みのある方へ行ったんですが、すぐに舗装の無い道となり、野生のニホンザルに遭遇するなど、ここ通っていいのか? という所を歩いてしまって、これはやばそうだと感じたので、松尾寺へ続く舗装道路が見えたところでそちらへ向かいました。
この時期のニホンザルは小さい子供を抱えているので、近寄ると危険なんです。
後から調べたら、わたしが通った道は特に間違いではなく、グーグルマップにも乗っていて、ハイキングルートにもなっている、自然歩道の一部だったようです。
かなり簡略化されていますが、地図にあるオレンジのルートを歩いています。
ちなみに、帰りはニホンザルの群れを避けて、自動車道の方から駅に向かいました。
第二十九番札所 青葉山 松尾寺(Matsunoodera)
40分ほど、ひいひい言いながら坂道を登って辿り着くと、最後に長い石段が(笑)
石段を登ったところに仁王門があります。
石段のところで写っているおばさまたちは、西国巡礼ツアーのバスで来られたそうで、駅から歩いてきたと言うと、とても驚いておられましたね。
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手水場
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鐘楼
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本堂
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納経所は仁王門の左にある道を行ったところにありました。
ご朱印
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西國第二十九番
丹後國 松尾寺
御本尊馬頭観世音菩薩
そのかみは いくよへぬらん たよりをば ちとせもここに まつのおのてら
開基 威光上人
建立 慶雲五年
京都府舞鶴市松尾
真言宗 青葉山 松尾寺
最後に注意点
1、松尾寺駅にはトイレがありません。
周辺にお店が無いので、恐らくトイレには行けないと考えて下さい。
2、自販機がありません。
駅から自然歩道を歩き、参道を松尾寺まで向かって登り着くまで、自販機が見当たりませんでした。
自動車道の方で行くと、途中に自販機がありましたので、そちらを通られることをお勧めします。
松尾寺にも自販機がありませんでした。
徒歩で行く際は自動車道を行くか、飲み物を事前に準備されることをお勧めします。
帰路
登ってきた山道を下り、自動車道の方へ行って(自販機を発見!)、松尾寺駅に着きました。
結構早く着けたので、16:06発で東舞鶴に向かいます。
松尾寺発16:06 → 東舞鶴着16:13 (JR小浜線・東舞鶴行)
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帰りは色んな選択肢があるんですが、とりあえず東舞鶴駅でトイレに行きました(笑)
着いたホームの向かいに京都行の特急はしだてが居て、「むむ!」っと思っていたのですが、経路検索を見ると16:27発で、18:08には京都に着けるんです。
少し疲れもあったので、ちょっと贅沢をして、乗ってしまう事にしました。
東舞鶴発16:27 → 京都着18:08 (JR特急まいづる12号・京都行)
乗車券(大阪まで)2590円、特急券1400円
乗車券、特急券を買って、出発まで残り5分を切ったところで、適当にビールとつまみでも買おうかと思ったんですが、東舞鶴駅の駅改札周辺、構内には売店がありません。
泣く泣く、ホームにある自販機でお茶だけ買いました・・・。京都からは新快速に乗ろうと思いましたが、通勤時間に当たってしまい、混み込みで乗れません(笑)
普通電車で座って帰りました。
京都発18:18 → 大阪着19:03 (JR京都線・西明石行)
ここまでお読み頂きまして、ありがとうございます。
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