【大阪発!青春18きっぷで行く、西国三十三所巡り】 第一番札所 那智山 青岸渡寺(Seiganto-ji)、熊野那智大社(Kumanonachi Taisha Shrine)、熊野速玉大社(Kumano Hayatama Taisha Shrine) 一泊二日コース 参拝記(2)


第一番札所 那智山 青岸渡寺

2016年3月10日の記事(改訂版)

続きです。

2日目(3月8日)

5時に起きて朝風呂にゆっくり入って、7時から朝食を頂いて、8時にチェックアウト。
夕べ飲んだ追加の酒代の請求がちょっと(笑)

前日はあまり余裕が無くて港を見てなかったのですが、良く晴れて気持ち良かったので、港見物をしてみました。

那智勝浦港

那智勝浦港
那智勝浦港
那智勝浦港
那智勝浦港
那智勝浦港
那智勝浦港
那智勝浦港
那智勝浦港

 

 

 

那智駅へ

予定通り、紀伊勝浦から那智まで移動します。
8:22発→8:26着

紀伊勝浦駅
紀伊勝浦駅
那智駅
那智駅
那智駅
那智駅
那智駅
那智駅

世界遺産情報センター

熊野那智 世界遺産情報センター
熊野那智 世界遺産情報センター
熊野那智 世界遺産情報センター
熊野那智 世界遺産情報センター

那智駅前の「熊野那智 世界遺産情報センター」が、8:30から開くので行ってみました。
こちらは「道の駅なち」に併設されている施設で、この周辺の世界遺産が紹介されているコーナーがあります。
私の他に誰も居なかったので、勝手に色々見させてもらいました。

さて、ここから予定していた参詣道を上りながら、チェックポイントを押さえていきます。
(参考)
街道マップ 那智駅-熊野那智大社

浜の宮王子、熊野三所大神社

浜の宮王子は跡だけで、現在は熊野三所大神社として祀られているようです。

浜の宮王子
浜の宮王子
藤原宗忠の日記、「中右記」(ちゅうゆうき)天仁二年(1109)十月二十七日条に、「浜宮王子」(はまのみやおうじ)とみて、白砂の補陀落浜からこの王子に参拝した宗忠は、南の海に向かう地形がたいへんすばらしいと記しています。「平家物語」には、平維盛がここから入水したと記されていますように、補陀落浄土(観音の浄土)に渡海する場所でした。那智参詣曼荼羅には、浜の宮王子の景観とともに、この補陀落渡海の様子が描かれています。また、浜の宮王子では、岩代王子(みなべ町)と同様に、「連書」の風習がありました。連書とは、熊野御幸に随行した人々が、 官位・姓名と参詣の回数を板に書いて社殿に打ち付ける事です。応永三十四年(1427)の足利義満の側室・北野殿の参詣では、十月一日に「はまの宮」に奉幣し、神楽を奉納したのち、帯や本結(紐)を投げると、神子女(巫女)たちが、争って拾った様子を先達をつとめた僧実意(じつい)が記しています。
三所権現あるいじゃ渚宮(なぎさのみや)と呼ばれていましたが、現在は熊野三所大神社(くまのさんしょおおみねやしろ)と称してます。なお、隣の補陀洛山寺は千手堂あるいは補陀洛寺と呼ばれ、本来はこの王子社と一体のものでした。
浜ノ宮の大樟
浜ノ宮の大樟
浜ノ宮の大樟
浜ノ宮の大樟
熊野三所大神社
熊野三所大神社
熊野三所大神社 鳥居
熊野三所大神社 鳥居
渚の森ご案内
渚の森ご案内
渚の森ご案内 熊野三所大神社
境内の森を「渚の森」という。「紀路名所記」「紀路歌枕抄」にもあり昔の面影はないが、古来和歌によく読まれた名勝の森
◎熊野巡覧記(寛政期)
「林中に一つの祠あり。若宮と名づく」とあり、古くより若宮の社殿と五輪塔があった。(安政の大津波で流出)
◎紀南郷導記(元禄期)
 寺前に社有り。同じ側に玉石と号し力だめしの石二つあり。「この社は白河院法皇の御陵云々」とある。
◎「力だめしの石」は、古代の玉石信仰「丸石神」の石ともいわれ、中世以降は石を持ち上げて、その重い軽いで願い事の占いをし、また力くらべをしたようである。
◎「神武天皇頓宮跡」の碑は、神武天皇祭の興隆とともに大正期にこれを建て、囲いをしたものである。
◎「閼伽の井」(あかのい)古来、当社および補陀洛山寺が神前仏前の供えを汲んだ井戸であり、近年は祭典奉仕者が潮垢離を取ったあと、真水で禊をする井戸となっている。
熊野三所大神社 社殿
熊野三所大神社 社殿
熊野三所大神社 案内
熊野三所大神社 案内
当社御案内
熊野三所大神社
一、御祭神(国指定重要文化財)
家津美御子大神
夫須美大神
速玉大神
二、摂社(石宝殿)
丹敷戸畔命(地主ノ神)
三狐神(食物ノ神)
若宮跡(浜ノ宮王子社跡)
渚の森にあり、社殿は宝永の津波で流出
三、由緒
古来「渚の宮」「浜の宮王子社」「熊野三所権現」と称せられ、補陀洛山寺との神佛習合の形態が今に残り本殿のすぐ前で参拝ができる数少ない神社である。
●熊野年代記に欽明天皇廿四年「浜の宮に宮殿出現」とあり、同三十年補陀洛観音出現とある。(約一四〇〇年前)尚天武天皇五年八月大暴風雨「浜の宮王子社流る」とある。
●平家物語、維盛入水の頃に「浜の宮と申す王子の御まへより一葉の舟に棹さして」とある。
●熊野詣日記(足利義満の側室)に「申の半時に、はまの宮に御つき御奉幣、御神楽常のごとし」とある。
四、渚の森(社寺前の森を云ふ)
昔の面影はないが「紀路歌枕抄」にもあり古来和歌によく読まれた名勝の森。
続古今集 衣笠内大臣
「むらしぐれ いくしほ染めて わたつみの 渚の森の 色にいづらむ」以上

補陀洛山寺(ふだらくさんじ)(Fudarakusan-ji)

その隣には世界遺産の補陀洛山寺があります。
まだ9時前の早い時間でしたが、観光客が結構来られていて、その対応を終えられたご住職が掃き掃除を始められたので少し待たせて頂きまして、本堂の中を見学させて頂きました。
観音浄土である補陀洛山へと、船で那智の浜から旅立つ宗教儀礼「補陀洛渡海」で知られる寺です。
ご住職から少し話を伺いまして、ご朱印を頂いて、お寺をあとにします。

補陀洛山寺 本堂
補陀洛山寺 本堂
陀落渡海記念碑
陀落渡海記念碑

 

 

 

 

熊野(那智、補陀洛山寺)は、僧侶たちが観音の浄土補陀洛山をめざして船出した補陀洛渡海の最大の聖地であった。

貞観十年(868) 慶龍上人(熊野年代記)
延喜十九年(919) 祐真上人(熊野年代記)
堀川院(1100頃) 某上人(台記)
天承元年(1131) 高厳上人(熊野年代記)
寿永三年(1184) 平維盛(平家物語諸本)
天福元年(1233) 智定坊(吾妻鏡ほか)
嘉吉元年(1441) 祐尊上人(熊野年代記)
文明七年(1475) 万里小路冬房(続史愚抄)
明応七年(1498) 盛祐上人(熊野年代記)
享禄四年(1531) 祐信上人(熊野年代記)
天文八年(1539) 光林上人(熊野年代記)
天文十年(1541) 正慶上人(熊野年代記)
天文十一年(1542) 善行上人(熊野年代記)
天文十四年(1545) 日誉上人(熊野年代記)
弘治二年(1556) 梵鶏上人(熊野年代記)
永禄三年(1560) 清信上人(熊野年代記)
永禄八年(1565) 金光坊(熊野巡覧記)
天正六年(1578) 清源上人(熊野年代記)
文禄三年(1594) 心賢上人(熊野年代記)
寛永十三年(1636) 清雲上人(熊野年代記)
承応元年(1652) 良祐上人(熊野年代記)
寛文三年(1663) 清順上人(熊野年代記)
元禄二年(1689) 順意上人(熊野年代記)
元禄六年(1693) 清真上人(熊野年代記)
享保七年(1722) 宥照上人(熊野年代記)

ここに渡海僧の霊を慰める記念碑を建立し、他界の地「熊野」の再興を祈念

世界遺産 補陀洛山寺 補陀洛渡海発祥の地
世界遺産 補陀洛山寺 補陀洛渡海発祥の地
補陀洛渡海の船
補陀洛渡海の船
補陀洛山寺 ご朱印
補陀洛山寺 ご朱印
 
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮348

熊野古道(中辺路)

補陀洛山寺を出て、県道43号線沿いを上ってゆきます。
左手に那智川があるんですが、大規模な河川工事が行われていました。
平成23年(2011)9月の「台風12号による紀伊半島大水害」の影響と思われます。
地図にある「曼荼羅のみち」の入り口にある崩落した橋という箇所は、新しいコンクリートの橋が架かっていました。
「曼荼羅のみち」に入り、尼将軍供養塔のある辺りは杉と竹の林道を歩く格好で、大変気持ち良かったです。
道標には「熊野古道 中辺路」と書かれてあります。

熊野古道 曼荼羅のみち(補陀洛山寺横)
熊野古道 曼荼羅のみち(補陀洛山寺横)
補陀洛山寺から那智山まで8km
補陀洛山寺から那智山まで8km
熊野古道が残っている箇所への入り口(井関)
熊野古道が残っている箇所への入り口(井関)
熊野古道 中辺路の道標(井関)
熊野古道 中辺路の道標(井関)
熊野古道 中辺路 道標を探しながら歩く
熊野古道 中辺路 道標を探しながら歩く
熊野古道の入口見つけた!
熊野古道の入口見つけた!
熊野古道はここからです!
熊野古道はここからです!
熊野古道 山道に入っていく!
熊野古道 山道に入っていく!
熊野古道に入って、なぜかテンションが上がる(笑)
熊野古道に入って、なぜかテンションが上がる(笑)
熊野古道 大変気持ちが良い
熊野古道 大変気持ちが良い
荷坂峠の尼将軍供養塔
荷坂峠の尼将軍供養塔

荷坂峠の尼将軍供養塔
町内井関荷坂通称岡山の旧参道のかたわらにある(現在地)。当の形は宝篋印塔そのもので石材は硬砂岩である。高さ1.46mあり上部がやや欠けている。建保六年(1218)の建立という。
青岸渡寺の古文書に「尼将軍石宝塔」と記録されており、よく似た石宝塔は、佐野、浜ノ宮、荷坂、那智山の四ヶ所に建立されていると古文書に記されている。
荷坂の塔は、土地の人々から「尼将軍様」と呼び親しまれている。
尼将軍とは、源頼朝の室、平の政子の渾名で二位禅尼、尼御台所とも呼ばれ、頼朝の没後北条時政、義時父子とともに、二子頼家、実朝の後見者として、まつりごとを見た女丈夫であった。頼朝夫妻は熊野信仰があつく、那智山の社寺も建立している。

熊野古道道標 (尼将軍供養塔)
熊野古道道標 (尼将軍供養塔)
尼将軍供養塔
尼将軍供養塔
尼将軍供養塔
尼将軍供養塔
尼将軍の由来
尼将軍の由来

尼将軍の由来
源頼朝の妻政子は北條氏の長女に生れ夫頼朝死後実家の北條氏が政子の実子頼家と実朝を暗殺した其の罪の苦しみから尼となり時房を従え承元二年十月と建保六年二月の二回に亘り熊野三山詣を心出し此の地に立寄り吾子の冥福を祈り供養塔を建立した依って毎年四月十四日を命日と定め信者相会し供養を行って来た信者一同新しく此の碑を建立して冥福を祈る
熊野三山とは本宮新宮那智三社を云うなり

尼将軍供養塔
尼将軍供養塔
更に熊野古道を進む
更に熊野古道を進む
更に熊野古道を進む
更に熊野古道を進む
道が切れて、霊園に出たところ
道が切れて、霊園に出たところ
尼将軍参道碑入口
尼将軍参道碑入口

荷坂の五地蔵

参道の近くに五地蔵が祀ってありました。

荷坂の五地蔵
荷坂の五地蔵
荷坂の五地蔵
荷坂の五地蔵
荷坂の五地蔵
平弥兵衛宗清(たいらのやへえむねきよ)が石屋の弥陀六(みだろく)と名を替えて、一の谷の合戦で亡くなった笛の名手、平敦盛(たいらのあつもり)(清盛の弟経盛の子 十六才)を供養するために作ったと伝えられています。宗清は平治の乱(1159)の後、捕らえられた幼い頃の源頼朝の命を助けるよう働いた人。後に頼朝は優遇しようとしたが固辞し、屋島の戦いにも参加したが寿永三年(1184)以後の消息は不明。

市野々王子

市野々王子には、社がありまして昔の米庫が残されています。

市野々王子
市野々王子
熊野古道道標 (市野々王子)
熊野古道道標 (市野々王子)
村社王子神社
村社王子神社
村社王子神社
村社王子神社

天仁二年(1109)に熊野に参詣した藤原宗忠(ふじわらのむねただ)は、十月二十七日、浜の宮王子の後、那智鳥居政所(まんどころ)を経て、小川を数回渡り、この「一野(いちのの)王子社」に奉幣しています。ついで、承元四年(1210)に後鳥羽上皇の後宮・修明門院に随行した藤原頼資(ふじわらのよりすけ)は、五月四日に「一乃野(いちのの)」王子に参拝しています。那智参詣曼荼羅には、井関と二瀬橋(にのせはし)の間に、小社を描いていますが、これが市野々王子であろうと推定されています。類型的な図像ですが、中世末~近世初頭の王子社の形態を知る上で参考になります。近世には、那智山の末社となり、若女一(にゃくにょいち)王子社あるいは市野々王子と呼ばれています。この王子社は元からここにあったという説と、百メートルほど上の文明の岡と呼ばれる所に旧社地があり、江戸時代に当地に移されたという説があります。明治時代に那智山の支配から離れて、王子神社となり、文明の岡にあった金刀比羅神社を合祀し、現在に至っています。

お杉社
お杉社
御神木の杉
御神木の杉
影向石
影向石
梅かしら
梅かしら

宝泉寺付近

地図にある宝泉寺を過ぎた辺りにて、砂防ダム工事をやってる入り口で警備をしているおっちゃんが暇そうだったので、声を掛けて少し話を伺いますと、今日歩いて参拝していくのは私で三人目だと教えて頂きました。
意外に少ない?

熊野古道 大門坂

ようやく、青岸渡寺、熊野那智大社の入口に当たる大門坂に到着です。
熊野古道の面影が色濃く残る650mの石畳の道を登って行くことになります。

世界遺産 大門坂
世界遺産 大門坂
世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道 熊野参詣道中辺路
世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道 熊野参詣道中辺路
県道から大門坂に入ってきたところ
県道から大門坂に入ってきたところ
新宮藩の関所跡
新宮藩の関所跡
南方熊楠が三年間滞在した大阪屋旅館跡
南方熊楠が三年間滞在した大阪屋旅館跡
大門坂 鳥居
大門坂 鳥居
那智山周辺案内図
那智山周辺案内図
振ヶ瀬川にかかる橋
振ヶ瀬川にかかる橋
振ヶ瀬川にかかる橋
振ヶ瀬川にかかる橋
樹齢800年の夫婦杉
樹齢800年の夫婦杉
石畳をヒイヒイ言いながら登ります
石畳をヒイヒイ言いながら登ります

多富気王子

多富気王子社跡
多富気王子社跡
多富気王子社跡
多富気王子社跡

熊野参詣道中辺路にある最後の王子社です。おそらく樹叢や峠の神仏に「手向け」(たむけ)をした場所で、それがいつしか王子と呼ばれるようになったと思われます。ただし、王子の名は中世の記録には登場せず、江戸時代の地誌類にみられます。「熊野道中記」には「那智山坂ノ内壱町程上リ、右ノ方」と記されています。また「紀南郷導記」では若一王子(にゃくいちおうじ)、「紀伊続風土記」では児宮(ちごのみや)と呼んでいますが、「熊野巡覧記」には若一王子と児宮の両方の名をあげています。江戸時代には社殿がありましたが、明治十年に熊野夫須美神社(現、熊野那智大社)の境内に移され、跡地だけとなりました。

那智山内に到着

石畳の道を汗びっしょりになって登ってきますと、町が現れました。
山上に車が登れるように道路や駐車場施設を整備した結果、色んなものが無くなっていると思われます。
そういえば、熊野古道の伊勢路を歩いた時に、語り部のおっちゃんが国道と紀勢線を通した時に熊野古道がかなり無くなってしまったと嘆いておられましたわ。
旧史跡晴明橋の石材(路面上)
旧史跡晴明橋の石材(路面上)
第六十五代花山天皇(正暦三年、990年頃)が、那智山大滝の山中で千日御参籠苦行の際、お供した安倍晴明(陰陽家)がこの近くに庵をむずび、庵を晴明堂、庵に近い橋を晴明橋と呼んでいた。
昭和四十五年九月熊野交通株式会社が駐車場を設けたため地形が変わり橋材をここに移したものである。古い橋は、長さ三間、巾九尺、擬宝珠つきの橋であったが、この石材の橋は、江戸期の仮橋であった。前方、「右順礼道」の道標から、左上に上る道は、御幸道であったという。
那智山参道入口
那智山参道入口
清涼亭
清涼亭
清涼亭でビールを頂く
清涼亭でビールを頂く

那智山観光センターの脇に出てきてすぐ、那智山参道入口を発見。
石段を上っていった途中で「清涼亭」なるお店があり、ビールの文字につられて入ってしまいました。ほんとに汗びっしょりだったので、休憩も兼ねて頂きました。

 熊野那智大社

いよいよ熊野那智大社に参拝です。
前日に行った熊野速玉大社、一昨年に熊野本宮大社に参っているので、
一応三社全てに参ったことになります。

右西国第一番札所
右西国第一番札所
那智山熊野権現 鳥居
那智山熊野権現 鳥居
世界遺産 熊野三山 熊野那智大社 石碑
世界遺産 熊野三山 熊野那智大社 石碑
熊野那智大社 手水社
熊野那智大社 手水社
熊野那智大社前の石段
熊野那智大社前の石段
児宮 多富気王子神社
児宮 多富気王子神社
児宮 多富気王子神社
児宮 多富気王子神社
熊野那智大社 狛犬
熊野那智大社 狛犬
熊野那智大社 狛犬
熊野那智大社 狛犬
熊野那智大社 宝物殿
熊野那智大社 宝物殿
熊野那智大社 拝殿
熊野那智大社 拝殿
熊野那智大社 拝殿
熊野那智大社 拝殿
熊野那智大社 拝殿
熊野那智大社 拝殿
熊野那智大社社殿 八棟
熊野那智大社社殿 八棟

熊野那智大社社殿 八棟

重要文化財 平成七年十二月二十六日
世界遺産  平成十六年七月一日
指定理由  歴史的価値の高いもの

第一殿 瀧宮
第二殿 証誠殿
第三殿 中御前
第四殿 西御前
第五殿 若宮
第六殿 八社殿
御縣彦社
鈴門・瑞垣

熊野那智大社は熊野三山の一つに数えられ中世以降は日本第一大霊験所・根本熊野三所権現として全国的に信仰された古社である。
社殿は東西横一列に配された第一殿から第五殿と、第五殿の正南方に並ぶ第六殿・御縣彦社からなる。各社殿は瑞垣で仕切られており、各社殿の正面には鈴門が開かれている。
第一殿から第六殿が嘉永四年から七年(1854)の建立、御縣彦社は慶応三年(1867)の建立である。
社殿はその規模が大きく良質で彫刻をほとんど用いない等、配置や形式に特徴があり、全国の神社建築に影響を与えた熊野三山の社殿形式を伝えるものとして、我が国の神社建築史上貴重である。
鈴門及び瑞垣は境内の景観を構成する上で重要である。

熊野那智大社 拝殿
熊野那智大社 拝殿
熊野那智大社 拝殿
熊野那智大社 拝殿
熊野那智大社 ご朱印
熊野那智大社 ご朱印
天然記念物 那智の樟
天然記念物 那智の樟
天然記念物 那智の樟
天然記念物 那智の樟

楠霊社胎内くぐり
この老樟は古来樟の精にあやかって樟霊社とし、又、無病息災を祈り長寿を願って多くの人に崇められています。
根幹部の空洞を通り抜ける「胎内くぐり」には備え付けの「護摩木」に願意・氏名を記入し、これを奉持して胎内に入り出口の護摩舎に納めて下さい。
この護摩木は毎月十八日の権現講祭に焚き上げ祈願します。
護摩木初穂料 三〇〇円

熊野那智大社の御案内
熊野那智大社の御案内

熊野那智大社の御案内
この地を「熊野」と申します。クマとは、「奥まった処」「隠れたる処」との意があり、そこは「上座」であり、「聖」なる地と位置づけています。「クマ」と「カミ」は同じ意味があり、「クマノ」は「カミの野」で神々の住まえる地といえます。
神倭磐余彦命はこの地に上陸され、八咫烏の案内で大和の地に着き神武天皇となられました。その時に那智の瀧を大己貴命の御霊代として祀られたのが那智山信仰の起こりと伝え、仁徳天皇五年(約1680年前)この地に社殿を建立したと伝えています。
古来、「日本第一大霊験所・根本熊野三所権現」那智山熊野権現と称し、御社名を「熊野那智大社」と申し、御祭神は、熊野夫須美大神と申し上げ、日本で最初の女神「伊弉冉命」を主神とし十二柱の神々をお祀りし、全国に鎮座する約四千余社の熊野神社の御本社(熊野本宮大社・熊野速玉大社とともに)であり、熊野三山の一社であります。
重畳と續つく紀伊の山々の果て、前面に大海原が拡がる温暖の地は京洛より山川八十余里、往復一ヶ月を要し後白河法皇の三十四度・後鳥羽上皇の三十一度を始め数多くの人々が続々と熊野詣を為し、その様子を「蟻の熊野詣」と称しています。
御社殿は、熊野権現造りと称し正面五棟・側面一棟と御縣彦社・鈴門・瑞塀から成っており、往古、織田信長により焼き討ちに逢い、豊臣の代に再興し、享保・嘉永に修復し、最近では、昭和九年の室戸台風の被害により解体修復が行われ、平成七年に国指定文化財となりました。
更に、平成十四年より桧皮の葺き替え・丹塗りの塗り替えを行い、御社殿及び境内域はこの度「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に認定され、この那智山社域一帯は吉野熊野国立公園特別地域であります。

那智山 青岸渡寺

青岸渡寺は、今回の旅の主目的にしていた西国三十三所巡りの一番札所ということで、個別のご朱印帳を買い求めようと思っていたところ、西国三十三所巡り専用のご朱印帳があると教えて頂きました。
本堂内でも色々と教えて頂きまして、次に向けてのモチベーションが上がったように思います。
青岸渡寺 本殿
青岸渡寺 本殿
青岸渡寺 本殿
青岸渡寺 本殿
世界遺産 西国第一番札所 那智山青岸渡寺
世界遺産 西国第一番札所 那智山青岸渡寺
那智山 青岸渡寺全景
那智山 青岸渡寺全景
西国霊場第一番札所 天台宗 那智山 青岸渡寺
西国霊場第一番札所 天台宗 那智山 青岸渡寺
西国霊場第一番札所 天台宗 那智山 青岸渡寺
補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智の御山に ひびく滝津瀬
当山は仁徳帝の頃(313~399)印度より裸形上人が熊野の浦に漂着、現在の堂の地に庵を結んだのに始まると伝えられている。 その後、推古帝(593~628)の時大和より生仏上人が来山し、玉椿の大木をもって、現在の本尊(御丈約四米)を彫り裸形上人感得の観世音菩薩を胸仏として納め安置す。のち推古帝の勅願寺となり、那智霊場の中心として熊野信仰を育くんできた。従って御本尊如意輪観世音菩薩の霊験を受けんとして、日夜礼拝修業する者その数を知らず、又天皇上皇の尊崇も深く、殊に平安時代、人皇六十五代花山上皇が滝の上の山中に庵を造り、三ヶ年御修業の後、当山より西国三十三ヶ所観音礼場巡拝の旅に出られた。当時より長きに亘り巡拝の寺として親しまれている。当山は古くより那智山如意輪堂と称していたが明治の神仏分離によってその形態が変り以来青岸渡寺と称するようになった。現在の建物は天正十八年豊臣秀吉公が、発願再建されたもので桃山時代様式の建物として南紀唯一の重要文化財である。
山内の主な建物は次の通り
本堂(如意輪堂)(重要文化財) 天正九年堂宇炎上同十三年(1585)豊臣秀吉公再建せんと発願し同十八年(1590)落成此時秀吉公日本一の大鰐口奉納す。
本尊 如意輪観世音菩薩(秘仏)
宝篋印塔 元亨二年(1322)建立(重要文化財)
鐘楼 鐘に元亨四年(1324)八月鋳造の銘あり。
大黒天堂 本尊大黒天をはじめ七福神を祀る。
三重の塔 平安末期に建立されたが相次ぐ戦火に焼失。去る四十七年全国よりの浄財によって再建。飛滝権現の本地仏千手観音を三層に祀る。
写経蔵 全国信徒の奉納した写経を安置する御堂。
滝宝殿(宝物館) 那智の歴史は古く千六百年前より始まり、長い間の文化の発展に寄与するところ多くこれらの什宝物及び出土品を収蔵している。
阿弥陀堂 信徒方々の遺骨を奉安する納骨堂
山門 昭和八年現在の地に再建、木造、銅葺、金剛力士(仁王尊)運慶作(1213)
信徒会館 全国信徒の研修道場
尊勝院 中世は天皇上皇の御幸泊にして、当山最古の執行職屋敷、現在では信徒の宿泊所になっている。

ご朱印帳

西国三十三所巡礼の必須アイテムともいうべき、専用のご朱印帳を手に入れました。
これから長く一緒に歩くことになります。

西國三十三霊場納経帖
西國三十三霊場納経帖
西國三十三霊場納経帖
西國三十三霊場納経帖
那智山 青岸渡寺 ご朱印
那智山 青岸渡寺 ご朱印
那智山 青岸渡寺 ご朱印
那智山 青岸渡寺 ご朱印

西國第一番
紀伊國 那智山
御本尊如意輪観世音菩薩

ふだらくや きしうつなみは みくまのの なちのおやまに ひびくたきつせ

開基 裸形上人
建立 仁徳天皇御宇

和歌山県那智勝浦町那智山
天台宗 那智山 青岸渡寺

大黒天堂、鐘楼、宝篋印塔

大黒天堂、鐘楼、宝篋印塔
大黒天堂、鐘楼、宝篋印塔
大黒天堂
大黒天堂
那智七福神を祀る如法堂(大黒堂)
那智七福神を祀る如法堂(大黒堂)
鐘楼
鐘楼
宝篋印塔
宝篋印塔

三重塔

三重塔に向かう途中にある土産物屋さんでバニラアイスを頂いて休憩し、
お約束の三重塔のバックに滝を入れて写真を撮ります。

バニラアイス
バニラアイス
青岸渡寺の三重塔と那智の御滝
青岸渡寺の三重塔と那智の御滝
青岸渡寺 三重塔
青岸渡寺 三重塔
青岸渡寺 三重塔
青岸渡寺 三重塔
青岸渡寺 三重塔
青岸渡寺 三重塔

 

 

那智の御滝(Nachi Waterfall) 飛瀧神社(Hiro-jinja Shrine)

那智の御滝まで石段を下るのですが、非常に膝が痛くなりまして、運動不足や体力の衰えを感じてきます。

熊野那智大社別宮 飛瀧神社 那智大瀧
熊野那智大社別宮 飛瀧神社 那智大瀧
那智御滝 飛瀧神社
那智御滝 飛瀧神社

落差 133m
銚子口の幅 13m
滝壺の深さ 10m
世界遺産
国指定名勝(二ノ瀧・三ノ瀧を含み一那智大瀧)
日本の滝百選
日本の名水百選
日本の音のある風景百選
隣接域の那智原始林も世界遺産・国指定天然記念物

飛瀧神社 鳥居
飛瀧神社 鳥居
熊野那智大社 別宮 飛瀧神社 御案内
熊野那智大社 別宮 飛瀧神社 御案内

御案内
その昔、神倭磐余彦尊(神武天皇)が、この大瀧を神と祀られ大穴牟遅神の御神体と仰がれました。後に飛瀧権現と称し、今日では飛瀧神社となり、崇めて「お瀧」と申します。
高浜虚子は、この御瀧を「神にませばまことうるわし 那智の滝」と詠じています。
大瀧は那智原始林から流れ出ている大川の流れがこの断崖にかかり落下して日本一の名瀑であり世界遺産で国の名勝となっています。
又、この地域は吉野熊野国立公園特別地域・風致保安林・天然記念物にもなっています。
那智の瀧は直下133メートル・銚子口の幅は13メートル・滝壺の深さは10メートル・平時の水量は毎秒約1トン程度と申します。
宇多上皇(一千百四年前)をはじめ百十余度の御幸があり、花山法皇の千日山篭り、又、役行者の滝業以来、修験道の道場となりました。
熊野那智大社
別宮 飛瀧神社

世界遺産 那智御瀧
世界遺産 那智御瀧
那智の滝へ向かう石段
那智の滝へ向かう石段

滝近くまで来て改めて思いましたが、2011年の豪雨の影響が酷いです。
滝の姿が変わってしまい、滝壺辺りの石もかなり取ったそうなのですが、
世界遺産には余り手を入れられないとのことで、ゴロゴロの石が目立ちます。
こちらでもご朱印を頂けます。

那智の滝
那智の滝
那智の滝
那智の滝
飛瀧神社 ご朱印
飛瀧神社 ご朱印
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山8

 

帰路

階段を登って戻るとバス停があるので、ここから紀伊勝浦駅までバスで向かいます。

熊野交通のバスは1時間に1本なので、注意が必要です。
http://www.kumakou.co.jp/bus/jikoku_item_9.html
私が乗ったのはこちらです。
行きの苦労はどこに行ったのかと思うくらい、めっちゃ速いです(笑)
那智の滝前発13:01 → 紀伊勝浦駅着13:25

大阪への帰りの電車がこんな感じですので、まだ2時間ちょっと時間がありました。
紀伊勝浦発15:41 → 紀伊田辺着17:56 (JR紀勢本線・紀伊田辺行)
紀伊田辺発18:10 → 御坊着18:54 (JR紀勢本線・御坊行)
御坊発19:05 → 和歌山着20:07 (JR紀勢本線・和歌山行)
和歌山発20:13 → 大阪着21:43 (JR紀州路快速・京橋行)

紀伊勝浦の駅前商店街には、何店もマグロ海鮮丼を置いている店があり、寄ってみる価値がめっちゃあると思います。
お昼ご飯はこちらで取ると決めていたので、良さげな店を選んでマグロ丼を頂きました。

マグロ海鮮丼
マグロ海鮮丼
マグロ海鮮丼
マグロ海鮮丼

時間を持て余したら、港前には無料の足湯施設がありますし、喫茶店も3店ほど見つけましたので、暇つぶしできると思います。

海の湯の足湯
海の湯の足湯
海の湯の足湯
海の湯の足湯

久々に泊りでの一人旅で、ゆっくりした時間に浸れて少し気晴らしができたと思いますし、西国三十三所巡りを始める第一歩としては良い旅になったのではないかと思います。
青春18きっぷが3回分余っているので、次の旅を考えたいと思います。

以上


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