”当山では本日3月23日より、西国草創1300年記念行事として
【金剛界曼荼羅】【胎蔵界曼荼羅】の両界曼荼羅を特別拝観して頂けます。
期間は5月6日まで、
通常の拝観料500円を納めて頂くだけで、本堂内陣にて両界曼荼羅も拝観頂けます。
こちらの曼荼羅は施福寺で初公開となっていますので、皆様のお目に触れることは初めての事です。
この貴重な機会に槇尾山にお参り頂けましたら幸いでございます🙏
山主 拝”
(Facebook 施福寺のページの記事を引用)
【金剛界曼荼羅】【胎蔵界曼荼羅】の初公開ということです!
とんでもない企画ですぞ。
行くのは大変ですが、是非とも見に行ってみたいですね。
特別拝観は、令和2年(2020)3/23~5/6の期間で行われます。
密教の教えの中心ともなる「大日如来」を中央に配し、諸々の「仏」を配置した図柄を曼荼羅といい、両界曼荼羅とは「胎蔵曼荼羅(胎蔵界曼荼羅)」と「金剛界曼荼羅」を合わせたものを指します。
胎蔵曼荼羅は『大日経』に基づき、金剛界曼荼羅は『金剛頂経』という密教経典に基づいて描かれています。
「大日経」と「金剛頂経」は同じ大日如来を拝していますが、系統の違いがあり起源が別で、中国にも別ルートで伝わったとされています。
この二つを統合させ、両界曼荼羅を成立させたのは、空海(くうかい、弘法大師、774~835)が入唐した際の密教の当代継承者で、師である恵果(けいか、746~805)とされています。
恵果曰く、密教の奥義は言葉では伝えられないとして、両界曼荼羅を描かせて空海に与え、空海が日本に請来しています。
その原本と最初の写本は東寺(教王護国寺)に保管されていましたが失われ、その後900年頃の彩色された写本が残っており、国宝に指定されています。写本を紫綾金銀泥で忠実に再現したという両界曼荼羅が神護寺に残っており、これも国宝に指定されています。
のちに空海が最澄(さいちょう、伝教大師、767~822)と決別したのは、最澄が密教を書物から学ぼうとしたことによるというのは当たっている気がします。
いずれも大学のフィールドワークやプライベートで訪れて目の当たりにしていることから、今回の施福寺さんの両界曼荼羅に興味をそそられたというわけですね。
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